『博打打ち いのち札』

基本情報

博打打ち いのち札
1971/CS
(2003/3/12 よみうりテレビ録画)
脚本/笠原和夫
撮影/吉田貞治 照明/和多田 弘
美術/吉村 晟 音楽/木下忠司
監督/山下耕作

感想(旧HPより転載)

 愛した女芸人(安田道代)と約束を交わしながら刃傷沙汰で獄中にあった博打打ち(鶴田浩二)が出所して見ると、かつて愛した女は親分(水島道太郎)の女房に納まっていた。新興やくざ(天津敏)勢力を利用して縄張りの拡張を狙う邪な叔父貴衆(内田朝雄)の放った殺し屋(天本英世)によって親分を殺されて未亡人となった彼女はいたたまれず雪の日本海に身を投げて死のうとするが、それを察した博打打ちに制止される。二人の抜き差しならぬ関係を知った弟分の代貸若山富三郎)は兄貴分に杯を返すが、叔父貴衆たちに利用されて殺されてしまう。組の窮地に姉御として生きる決心をかためた女の元に現れた男は「こんな渡世から出て行くんだ」と叫びながら、花会の場を血の海へと変えていく。

 傑作の誉れ高い「博打打ち・総長賭博」の笠原・山下コンビによる、もうひとつのヤクザ映画への決別状。この作品ではヤクザ映画のフォーマットを踏襲しながらも、恋愛映画としての激しい情念を噴出させた脚本と演出のコラボレーションが異色を放っている。

 ラストの文字通り真っ赤な血の海と化した花会の会場で、白い花道を斬り進みながら「出て行くんだ。こんな渡世から出て行くんだ」と鶴田浩二が呟きながら死への花道を辿る場面が歴史的な名場面として語り継がれているのだが、脚本家の笠原和夫自身は「昭和の劇」で語っているとおり気に入ってはいないようで、実際血の海を美術装置として表現するにしても中川信夫鈴木清順ほどの様式化には到っておらず、中途半端なスケールで納まりが悪い。

 むしろ、吹雪の海岸で死にきれなかった女と追ってきた男がお互いの生き死にを巡って激しい情念をぶつけ合う場面が演出、演技、撮影が最高潮に融合しあった東映映画屈指の名場面で、ここでの安田道代は増村保造の描く愛と狂気の狭間に踏み込んで男に絶対の選択を迫る、あの若尾文子を髣髴させて圧巻。思えばこのとき、まだ大映は倒産前だったのだ。

 ただし、その後の展開がヤクザ映画の定石に戻って若山富三郎鶴田浩二の「総長賭博」にも似た義兄弟の確執のドラマになってしまうため、せっかくの鶴田と安田のその後の恋愛劇の進展が希薄になってしまったのはあまりにもったいないことだ。恋愛劇に焦点を絞って筋を通すことができたら、傑作になっていただろうに。

 忘れてならないのは、恋愛劇としての情感をいつもながら上手く際立たせる木下忠司の劇判の効用と、東映ヤクザ映画の世界とはまさに水と油といった扮装の場違いな天本英世の登場ぶりだ。

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