吉永小百合版『あゝ野麦峠』製作中止事件とは何だったのか(2/3)

■幻に終わった吉永小百合主演の映画『あゝ野麦峠』の製作中止事件の背景を探る記事の第二弾です。第一弾は以下の通り以前に記事にしたところです。
maricozy.hatenablog.jp

■今回は、八木保太郎の書いた脚本(初稿)が読めたので、その概要を紹介しましょう。そもそも吉永小百合主演、内田吐夢監督による『あゝ野麦峠』とはどんな映画になる想定だったのでしょうか。そのイメージが掴めると思います。

シナリオ初稿を読む:物語の概要

■では八木保太郎が書いた第一稿とはどんなものだったのでしょうか。ちゃんと当時のキネマ旬報(1969年12月上旬号 No.511)に載っているので、読むことができます。大方、以下のような物語です。

■大正の終わり頃、諏訪湖畔にある丸市製糸の女工のお話です。まず工場での製糸工場の労働の実態が描かれ、その後、正月を迎えるために雪の野麦峠を越える命がけの帰省が描かれる。故郷の村の暮らしの貧しさが描かれ、工場に復帰するまでが前半。

■後半は、工場に戻った女工たちの間から組合運動が勃発して争議団が組織され、ストを打つが、会社側の切り崩しや警察の弾圧があり、櫛の歯が抜けるように仲間が脱落してゆき、一時休戦という敗北を余儀なくされる。全178シーンのかなりの長編映画で、自然発生的な、素朴な労働争議とその挫折を、ときに重厚に、ときに叙情的に描こうとしたものだとわかります。

シナリオ初稿を読む:所感

■基本的に女工たちの群像劇だが、主役はユリという女工で、これが吉永小百合に充てられた役。ユリと恋愛関係になる佐藤という男があり、思想的メンターでもあります。日活映画ではこうした役をコンビの浜田光夫が演じたりしたものですが、さすがに自主製作なので別の配役(たぶん劇団民藝の若手)が検討されていたのでしょう。冒頭とラストに登場する野麦峠の”ババさ”は、どう考えても北林谷栄のアテ書きだと思われます。たぶんみんなそう感じるでしょう。

■ただ、女工の群像劇にしても個々のエピソードに目新しさがないし、ドラマ的に粒だったものでなく、労働争議をめぐる動きにも山本薩夫の映画のような組織と個の相克といったダイナミックな面白さは感じられません。主役のユリは争議団の一員として街角で呼びかけ、最終的には争議団本部で以下のように一時休戦の敗北宣言を行うことになるのですが、それもどうも中途半端な印象。

「丸市製糸争議団声明書ー。私どもは十八日間の努力も空しく、ついに一時休戦のやむなきにいたりました」(以下略)

■そして、ラストのナレーションが、

「物語りを終るに当たって、当時のある新聞社の社説の一部を紹介しておこうー工女たちは、資本家との悪戦苦闘の末、ひとまず敗れた。とは言え、彼女たちは、彼等の手から繰り出される美しい糸よりも、自分たちが、はるかに尊い存在であることを知ったのである。そして、歴史がその足をとめない限り、退いた彼女たちは永遠に眠ることをしないだろうー」

というのも、実に分かりやすいとはいえ、どうも単純すぎる気がします。あくまで初稿なので、内田監督と話し合って焦点を絞り込んで煮詰めてゆくための叩き台のような気がするシナリオだし、全体の印象としては、独立プロ全盛期のモノクロ映画という感じ。そもそも内田吐夢がこの時期にそんなプロパガンダ的な映画を素直に撮るだろうかとも感じます。端的にいって、後に山本薩夫が撮った『あゝ野麦峠』のほうがドラマとしてえげつなく面白くできていたし、役者の芝居の見せ場も際立っていましたね。

細山スタジオでのいざこざ

■一方で、この映画を撮影するために準備されていた川崎市の細山スタジオは、後に東映生田スタジオとして有名になりますが、もともとは農地の地主が土地の有効活用のために撮影スタジを建設したものです。

■ところが当時の「商起」という有限会社の某氏がスタジオを私物化、スタジオの土地所有者の間で所有権に関してトラブルが起こり、それが吉永小百合版『あゝ野麦峠』の頓挫の原因ではないかとか、その某氏が同映画の製作費の管理も行っていて、ギャラの取り分で仲間割れを起こして映画が挫折したなどの説もあるようです。

■某氏が細山スタジオ建設の建築提案から施工まで行った初期の関係者であったことは間違いないようですが、吉永小百合版『あゝ野麦峠』の製作関係者だったという確証は全くありません。ただ、そもそも吉永小百合版『あゝ野麦峠』の製作担当者は日活、民芸映画社系列の人でしょうから、どんなツテで細山スタジオを知ったのかは興味深いところですが、不明です。まあ、日活調布撮影所から地理的に近いので映画業界のツテで容易に辿り着きそうには思いますが。

■第一弾の記事で触れた通り、製作費云々以前に吉永プロ側で脚本内容に関するコンセンサスがなく、脚本家との連携もとれず、すり合わせもできないような状態だったので、それ以前の状態で瓦解したように見えますが、今回はここまで。第三弾では、プロジェクトの瓦解した理由について妄想の翼をひろげて、ぐいぐいと憶測していきたいと思います。


参考

maricozy.hatenablog.jp

細山スタジオの設立経緯に関する記述は最近出たこの本にも触れられています。

でも、もともとの情報源は以下のサイトのようですね。非常に貴重な情報が公開されています。
taikino1.blog.fc2.com

最終的に山本薩夫が映画化して、大ヒット。実際、えげつない面白さ。吉永小百合は歯噛みしたことだろう。
maricozy.hatenablog.jp

© 1998-2024 まり☆こうじ