まさか!愛する夫がコミンテルンのスパイ?ゾルゲ事件の悲劇を描く『愛は降る星のかなたに』

基本情報

愛は降る星のかなたに ★★★
1956 スタンダードサイズ 94分 @アマプラ
企画:高木雅行 原作・脚本:猪俣勝人、糸永英一 撮影:横山実 照明:吉田協左 美術:坂口武玄 音楽:斉藤高順 特殊技術:日活特殊技部 監督:齋藤武

感想

昭和16年10月、政府中枢にも人脈を持つ高名な評論家の坂崎(森雅之)が特高に逮捕された。コミンテルンスパイ・ゾルゲの仲間として。妻(山根寿子)は弁護士(浜村純)から、夫がいかにしてゾルゲと接触して協力者になり、何を目指していたのかを知ることになる。だが、義弟は兄の売国奴の汚名を雪ぐため戦地に志願していた。。。

ゾルゲ事件連座して逮捕、1944年に処刑された尾崎秀実がその妻と娘にあてた書簡を1946年に出版したのが「愛情はふる星のごとく」という書籍で、当時大ヒットしたらしい。明らかにこれを原作としているのだが、映画にはクレジットがなく、脚本家が原作を兼ねているのは謎だ。遺族と何らかの軋轢があったのではないか。

■何しろ坂崎を演じるのが色気ざかりの森雅之なので事務所の秘書(高田敏江が大役)に一方的に慕われて、しまいには。。。というスキャンダラスな展開があり、どこまで事実に基づいているのかは不明だけど、遺族が良い顔するはずはないよね。なにしろ森雅之だから、この二人は絶対関係があるよねという描き方になっていて、映画的には面白くなるから良いんだけど、関係者は困惑することだろう。

■前半は突然逮捕されて死刑を免れない身となった夫はどんな売国活動を行っていたのか、日本をどうしようと考えて行動していたのか、その足跡を妻が間接的に追体験して(といっても弁護士役の浜村純が回想するだけだけど)理解に至るという構成になっていて、後半は妻が主役となる。妻を演じるのが山根寿子なのだが、当時は人気女優で大女優という知識はあるもものの、今観て演技的に良いかどうかは疑問があるなあ。

■基本的に家族映画として構成され、終盤は山根寿子と浅丘ルリ子のやり取りでまとめられ、夜空には日活特殊技術部の苦心による流れ星が流れる。

■ただ、思想映画としては不完全燃焼で主張がわかりにくいので、坂崎という主人公の人間性がはっきりしない。ゾルゲと日本で再開して嫌々仲間にされて、知らぬ間にコミンテルンの名簿に記載され、それにより脅されて協力しているという立場で、自分自身の主体的な判断で動いている描き方ではない。だから坂崎という人物についてはかなり批判的な描き方になっている。

■そのことは、彼の思想を信頼して満州開拓団に参加した義弟夫婦が突如手のひらを返して宣戦布告したソ連兵に虐殺されるエピソード(かなり強引な話術だけど)でも補強される。映画が製作された1956年はすでにスターリン批判が勃発し、独裁者として批判された時期なので、そうした史観も影響しているだろう。ソ連は日本が対北方の手を緩める間に日本への参戦の準備を進める猶予を得た。ソ連兵が無辜の民に銃口を向けるはずがない、義兄が信じた(本当に?)思想のシンパとしてそう語った義弟は戦地で片足を失い、満州国で虐殺される。

■その意味で、非常に残酷で非常な歴史劇なのだが、家庭劇とのバランスがちょっと微妙な気がするし、その残酷さが十分に伝わらない。坂崎とゾルゲの因縁を延々と浜村純が回想するのが、なぜか蕎麦屋で蕎麦を食いながらというシチュエーションで、いつまで蕎麦屋で粘ってるんだ?完全に蕎麦は伸びてるだろ!というくらいのボリュームのシーンが回想される。作劇術としてもかなり疑問点が多い映画なのだ。

■それにしても斎藤武市は抗いがたい運命のいたずらで理不尽に死なねばならない人のお話ばかり撮ってる人だね。先日観た『愛と死のかたみ』ではとっくに改心した若者が死刑制度に殺され、『愛と死をみつめて』では難病に取り憑かれた娘が残酷な運命を生きた末に灰と煙に還る。でもその人間の作った社会制度や神の意図の理不尽に対して露骨に怒りの声を上げるスタイルではなく、あくまで松竹由来の家族や恋人の情愛の物語としてまとめ上げる。その意味で、斎藤武市って、日活に移籍後も律儀に松竹本流を守り続けた人かもしれない。

■その意味では斎藤武市って、作風が木下恵介に似てるかもしれないなあ。あそこまで過激ではなかったけど、斎藤武市って日活の木下恵介だったんだね。

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