太陽 ★★★

SOLNTSE
2005 ヴィスタサイズ 115分
ユナイテッドシネマ大津(SC1)


 イッセー尾形昭和天皇を演じて、太平洋戦争の終末から、マッカーサー元帥との静かな攻防を経て神格を捨てる決意をするまでの時間を、VFXも駆使しながら、ときに演劇的、ときに荘重に、ときにコミカルに描き出す問題作。

 イッセー尾形の演技は、彼の舞台での芸風を生かした精緻なもので、ひとつの偉業と呼んでもいいだろうが、昭和天皇のお口パクパクや「あっ、そう」をしつこく強調するのは、ちょっとやりすぎ。しかし、監督自身も明確にコメディを狙っている部分があり、演出意図の一環であることは確実だろう。

 描かれるエピソードも、史実と空想を綯い交ぜにして象徴化を施してあるので、そのまま信じるとバカにされるだろうが、神格を託された人間としての裕仁が神の座から下界に降りてくるまでの心理的葛藤を中心にひとつの映画を完成させただけで、この映画は映画史的に特筆されるだろう。

 マッカーサーとの二人きりの会食の場面など、史実から離れた想像力の世界だろうが、マッカーサーと鋭く対立したほうが劇映画としては面白いのは確かであり、実際はそれほど激烈な対立は無かったことは作者も十分承知の上だろう。ラストの香淳皇后との再会の場面から、異様な緊張を孕んだラストの秀逸な幕切れまで、劇的構成としては案外通俗である。ただ、ロシア語の台詞を日本語訳した際に、十分にこなれていないニュアンスがあり、日本の脚本家をチームに加えるべきではなかったかという気はする。

 なぜか撮影までひとりでこなすソクーロフは、ソニーのシネアルタでこの映画を撮影したらしいが、あまりにボケボケで、陰影に締りが無い画質は、監督の意図したものなのかどうか怪しいところがあり、むしろDVDのほうが正確に映像設計が再現されているのかもしれない。少なくとも、個人的にはあまり褒められた画調ではないと思うぞ。星の数が少ないのは、もっぱらそのせいだ。

 天皇の午睡のなかに現われる東京空襲のビジョンや、東京の廃墟の描写にはVFXが多用され、マット画やCGが堂々と駆使されている。そのレベルも日本映画の大作を凌駕する質感で、恐れ入る。

 笠原和夫は「226」の脚本で「秩父宮上野駅に到着した」と書いただけで、松竹がビビッて削除を要請してきた(その結果松竹の意に沿うよう書き直して駄作になった。)と嘆いているが、やはり日本で昭和天皇を正面きって映画化できるのは東映をおいて他に無いのだろう。笠原和夫の書いた「昭和の天皇」の企画はいったん挫折したわけだが、日本映画界は改めて昭和天皇と激動の昭和史を検証する企画を発動すべきだ。昭和を単なるノスタルジーの舞台とするのではなく、日本の現代に直結するケーススタディの場として、様々な出来事を新たな視点から検証しなおすことは、映画的フィクションの負うべき大きな役割のひとつだろう。

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