ULTRAMAN

基本情報

ULTRAMAN
2004/VV
(2004/12/25 MOVIX京都/SC5)
脚本/長谷川圭一
撮影・VFXスーパーバイザー/大岡新一 照明/和泉正克
美術監督/大澤哲三 本編美術デザイナー/稲付正人 特殊美術デザイナー/高橋 勲
音楽/小澤正澄池田大介、鎌田真吾 音楽監修/TAK MATSUMOTO
フライングシーケンスディレクター/板野一郎 特技監督菊地雄一
監督/小中和哉

感想(旧ブログより転載)

 航空自衛隊のF15パイロットの主人公(別所哲也)は任務中に赤い光の球と遭遇するが、奇跡の生還を果たす。持病で余命少ない息子のために自衛隊を辞めて民間航空会社に就職し、息子のために自分の時間を費やすことを決めるが、突如現われた自衛隊の極秘組織に拉致され、赤い光の球の前に地球に飛来した青い光に憑依された人間(大澄賢也)が怪物化し、彼の命を狙っていることを教えられる。そして、彼の中でも何者かが覚醒しようとしていた・・・

 円谷プロあるいは鈴木清が満を辞して贈る新たな劇場版ウルトラマン映画の最新作で、「GODZILLA FINAL WARS」が20億円の制作費を蕩尽しても果たせなかったものがすべて具備された傑作である。おそらく制作費は10億円もかかっていないはずだが、これまでの劇場版ウルトラシリーズで蓄積されたノウハウを遺憾なく発揮して、コストパフォーマンスの高い映画作りの見本となっている。小中和哉にとっても会心作に違いない。

 まずは長谷川圭一の脚本がテレビシリーズでの傑作に比肩する完成度を映画でもはじめて達成しており、病気の息子を抱えた平凡な父親の心理的葛藤も過不足無く描き出してリアリティを確保し、おそらく円谷英二へのオマージュと思われる空を飛ぶことへの憧れを打ち出した物語構成は円谷プロの良心が健在であることを示して感動的だ。またこの映画は難病ものでもあり、息子の残り少ない余命という受け入れるしかない運命を重く背負わされた一人の男の等身大の人生とウルトラマンと同化して怪物と戦わざるをえない運命を無理なく融合させたのはなかなかの離れ業である。

 別所哲也の安定感のある癖の無い演技の質が主人公に自然な立体感をもたらし、対する大澄賢也も映画初出演とは思えない意外な巧演をみせ、心ならずも怪物化してしまった平凡な男の人間性を短い描写の中で焼き付ける。

 マクロスケールのテーマを家庭劇として構築した手法は、考えてみれば政治的なモチーフや社会的主題を扱う際にも家庭劇に落とし込むことで普遍性を持たせる松竹伝統の作劇そのもので、円谷プロの方向性と配給担当の松竹の社風がはじめて完全なマッチングを果たした映画ともいえるだろう。

 「バットマン」や「スパイダーマン」といったアメコミの映画化に対抗するという企画で、ジャパニメーションのノウハウを導入すべく板野一郎が起用され、クライマックスの空中戦の演出にあたっているが、この部分はあまりにもアニメそのもので、円谷プロ特撮の質感との違和感は拭えないものだった。

 一方の菊地雄一の特撮演出は期待にたがわぬ出来栄えで、特にホールの中での身長10メートル大の決戦シーンは実に見事なものだ。実際にはもっと凝ったキャメラワークやマッチムーブによる合成で生々しい臨場感を煽ることも可能なシチュエーションだが、予算規模に応じて特定のカットに資源を集中投下して完成度を磨き上げる采配に間違いは無い。室内や地下での戦闘から新宿の地上戦を経て舞台を空へと広げてゆく戦い方の構成も理想的な設定で、CGによる新宿副都心の俯瞰カットでウルトラマンが飛び方を憶えて天空へ一直線に上昇してゆくカットは、アニメの技術がもたらした感涙の名シーンである。

 ただ惜しむらくは、せかっくのこの傑作に一般観客への訴求力が欠けることで、その意味で円谷プロの取り組みは若干中途半端だったのかもしれない。完全に子供の存在を消し去る必要があったのではないか。

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