『千年の恋 ひかる源氏物語』

基本情報

千年の恋 ひかる源氏物語
2001/ビスタサイズ
(2001/12/15 ワーナーマイカルシネマズ茨木 SC3)
脚本/早坂 暁 撮影/鈴木達夫 照明/安藤清人
美術/西岡善信,松宮敏之 音楽/冨田 勲
ビジュアルエフェクト/尾上克郎 特撮監督/佛田 洋
監督/堀川とんこう

感想(旧HPより転載)

 藤原道長渡辺謙)は宮中で権力を握るため息女に帝の子を身籠もらせようと画策し、娘を知性で磨き上げるための養育係を紫式部吉永小百合)に依頼するが、彼女はかねてより執筆中だった「源氏物語」を語り聞かせることで、女と男の気持ちの持ちようの違いや、人の世の儚さを教え込んでゆく。

 という形で、紫式部の生きた時代と光源氏の生きた架空の時代を交互に映し出すという、いわば「ゴッド・ファーザーPART2」のような話術を披露する東映創立50周年記念映画で、ある意味では空前の時代劇大作でもあり、全編デジタル合成を駆使した特撮大作であるという、豪華なことについては間違いのない大作映画。

 全盛期の筆力も衰え果て、岡田裕介と組んで意図不明な映画を手がけてきた早坂暁の脚本が、ここではなんとかウェルメイドの地平に踏み止まって、決して侮ることのできない手練れの芸当を見せてくれる。映画初演出の堀川とんこうの舵取りもさすがに大ベテランの安定感を披露して、こうした特殊な意図を含んだ大作映画を空中分解させなかった功績は決して過小評価すべきでない。

 もちろん、「源氏物語」の物語としてはダイジェストになるしかないのだが、きわめてコンパクトに「源氏物語」のエッセンスを垣間見させるという企画意図はかなり忠実に実現されている。光源氏を巡る女たちに東映京都ゆかりの(小)スターたちを配して、デジタル合成を駆使した絢爛豪華な宮廷模様やきらびやかな平安衣装のあでやかな色彩設計が案外巧く機能して、往年の日本映画のように巨大で重厚な美術装置にはお目にかかれないものの、時代劇映画の新しい技術的な可能性についても着実な展望を示しており、この映画の持つ意味は日本映画史的にみても決して軽くはないだろう。

 西岡善信が美術を担当しているが、大映京都様式とは明らかに一線を画しており、意図的に東映映画の平板で華麗な美術セットの伝統を復活させようとしたかのようだ。もちろんこれにはキャメラと照明による映像設計が大きく関与しているのだが、平安絵巻を絵画的に明確な輪郭と煌々たる光線のもとに造形しようとしたらしく、時代劇らしい陰影豊かな画調ではなく、ひたすらキンキラキンに作り上げてゆく。

 キャストでは天海祐希光源氏が完璧で、中山忍高島礼子が適役。特に高島礼子藤壺が予想を上回る好演を見せ、短い出番ながら単なるヤンキーではないことを確信させる。実際、極妻のときよりずっと良いのだ。それから、忘れてならないのはよりによって帝を演じる本田博太郎の勇姿で、科白は少ないが、いつもの粘着質の演技で陰鬱な気配を振りまいている。

 酷いのが細川ふみえ竹中直人の親子のキャスティングで、後半をあやうくコメディ映画にねじ曲げようとするのだが、最も奇天烈なのは平安の女たちの怨念を背負って登場する松田聖子の存在で、彼女の登場シーンをカットするだけでこの映画の完成度は10%程度向上するだろう。紫の上の常磐貴子がどう見ても無骨な田舎娘にしか見えないのも困りもの。なんで常磐貴子が人気有るのか、私には全く理解できません。

 近年樋口真嗣よりもよほど大活躍の佛田洋指揮による特撮研究所のデジタル特撮はカットによっては非常に巧妙で、大澤哲三率いるマーブリングファインアーツ謹製の紫宸殿のミニチュア撮影に最新鋭HD24カメラを使用した即位式の合成カットなど特に絶品。逆にお得意のはずの津波や京の都の嵐等の派手なシーンが点描程度の扱いで見せ場にならないのが残念。デジタル合成もカットによって明らかに画質が低下して色調が濁っているところがあり、実写と人工的な背景との馴染み方にもばらつきがある。しかし、デジタル合成が時代劇の舞台を如何に押し拡げる可能性があるかを「陰陽師」とともに示して、特撮研究所の株は大いに上がったのではないだろうか。

 東映はせっかく新規にあつらえた衣装や美術装置が使い回せるうちに、エピソードを絞りこんだ源氏物語の映画を天海祐希主演で撮るべきだと思うぞ。「陰陽師」だけではなく、こちらにも是非第二弾を期待したい。


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