感想(旧HPより転載)
あの三浦光雄のモノクロ撮影技術の極致「夫婦善哉」に続編があったことだけで十分驚きだが、この続編も豊田四郎、森繁久弥、淡島千景、淡路恵子といった気心の知れたメンバーがどこまでが脚本通りで、どこからがアドリブなのか判断つきかねるくらいの絶妙のチームワークを見せて、あっぱれというしかない秀作に仕上がっている。
今回は養蜂の夢に取りつかれた森繁が淡路恵子とともに東京に出奔し、淡島千景が一旦は連れ戻すが森繁は全財産を持って再び淡路恵子のもとへ走り、些細な行き違いから彼女の気持ちが自分から離れたと思いこんだ森繁が身を引き再び全財産を失った夫婦がゼロから再出発するまでを大人の芝居と重厚な映像構成で描き切る。さすがは「小島の春」の豊田四郎、大人の映画とはこうしたものを言うのだろう。
大阪篇は浪花千栄子、山茶花究といった強者が完璧な演技で支え、特に山茶花究が昭和12年当時の船場の様変わりを物語って、放蕩三昧で勘当された森繁には「この船場はおろか、日本中のどこにも帰る場所などおまへんねや。へえ」と一刀両断する切れ味の良さは絶品。
しかし、もっとも驚いたのは社長シリーズや団地シリーズでの添え物といった印象しか無かった淡路恵子の巧演ぶりで、東京のといってもほとんどスラム街に位置するボロ家の二階での森繁との芝居の応酬は圧巻といってもいいだろう。まるで天使のように男を支え続ける淡島千景のリアリティを欠如を補う我が儘な小娘(ちょっと年齢に無理があるように思うが)に扮して森繁を翻弄する。
そして、千葉の海岸で再開した二人は心中を思いとどまりまた愚かな二人だけの生活に旅だってゆくことになるのだが、この海岸のシーンのロケーションも実に素晴らしく、大阪の街と人と生活が醸し出す情緒をステージ技術で表現するところから始まった「夫婦善哉」が愚かな彼らを育んだ母なる大阪からも引き離されて何ものも頼るべき装置のない場所にまで還元されてしまった凄絶さを際だたせる岡崎宏三のキャメラワークは、やはり凄いと思う。