赤死病の仮面

基本情報

赤死病の仮面
(THE MASQUE OF THE RED DEATH)
1964/シネマスコープ/トリミング版
(99/1/4 V)

感想

 赤死病の恐怖が蔓延する中世、プロスペロ公ヴィンセント・プライスは周辺諸侯を堕落させ、崇拝する悪魔と契約を結ぶため仮面舞踏会を催すが、その中に禁じたはずの赤い仮面を発見する。

 ロジャー・コーマンがイギリスで撮影したホラー映画の古典だが、プロダクション・デザインはダニエル・ハラーが手がけているものの、脚本も撮影もいつものポー・シリーズのレギュラースタッフと異なり、作品世界も多少趣を異にしている。

 アメリカではポー・シリーズの最高傑作という評価もある映画だが、正直言ってそれほどの出来映えではない。

 何より、美術装置の内容に関して「アッシャー家の惨劇」や「恐怖の振子」、更に下って「怪談呪いの霊魂」などで完成された、朽ち果てる一歩手前で時間の奔流に逆らって耐えている荘厳なとさえ形容したいデザイン、装飾の質感あふれる様式に比べてあまりにも単調である。特にダニエル・ハラーの美術装置はホラー映画の必須舞台である地下施設の造営にかけて右に出る者がない空間造形を見せるのだが、本作では地下牢のシーンがあるだけで、ヴィンセント・プライスの暗躍の舞台としての特権的な空間が存在しないのだ。

 そのかわりに、原色に彩られた小部屋の連鎖が設定されているのだが、その横方向に連なる空間の単調さが、この映画の生命を奪ってしまっているのだ。おそらく、使用したスタジオの都合上、上下軸の移動を作り出すことができなっかたのだろうが、ダニエル・ハラーの天才が、ここでは生かされていない。

 赤い仮面の男を悪魔の使者と考えるヴィンセント・プライスに「私は死神の使者に過ぎない。死神に主はない」とにべもない赤死病の仮面が、その信ずるものが神であろうとあるいは悪魔であろうと、人にはただ等しい死あるのみと答える痛快さ(?)は捨てがたいのだが、やはりノートリミング、シネスコの完全版を見ないことには、この映画の真価は判らないのかもしれない。

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