アッシャー家の惨劇

基本情報

アッシャー家の惨劇
(THE FALL OF THE HOUSE OF USHER)
1960/シネマスコープ
(98/10/10 輸入LD)

感想

 やはりシネスコノートリミングは良いなあ。しかも、このLD画質も素晴らしい。そもそも映画自体が低予算かつ短期間の撮影で有名なロジャー・コーマンの演出作だから、いくら撮影監督がフロイド・クロスビーといっても時間のかかる照明設計などできるはずもなく、人物の影がでたらめな方向に出ていたりする。(当時の技術的限界でもあろうが)

 しかも、主演をヴィンセント・プライスという当時既に初老の俳優に委ねたため、アッシャー家の兄妹の近親相姦的な関係を臭わせるには少々とうが立ちすぎており、妹への執着というよりも、アッシャー家の血への憎悪から兄妹共に滅びるべき運命を妄信しているという設定を強調し、そのことが実際に妹を発狂させる悲劇をもたらすという脚色が、名手リチャード・マシスンによって施されている。なにしろエドガー・アラン・ポーの原作を読んだのは遠い昔のことで、どの程度原作に変更を加えているのかはつまびらかでないのだが。

 では、ビンセント・プライスがミスキャストかといえば全く逆で、いくらダニエル・ハラーの美術が秀でていても、彼の存在なくして怪奇映画として成立することは不可能であっただろう。彼がなにやら意味深げな台詞を呪文のように囁くだけで怪奇映画以外の何物でもありえない地点に映画を導いてしまうのだ。

 また、アッシャー家の屋敷がまるで生き物のように侵入者である主人公に対して様々な直接的脅威を与える描写が全編に入念に散りばめられており、怪物としてのアッシャー屋敷の存在が映画的に強調されているのも、今回改めての発見だった。リチャード・マシスンは後に幽霊屋敷ものの傑作との誉れ高い「ヘルハウス」を生み出すことになる。(個人的にはそれほどの出来とは思えないが)

 ちなみに、日本のテレンス・フィッシャーと呼ばれる山本迪夫だが、「幽霊屋敷の恐怖・血を吸う人形」の導入部分(全く同じです)や美術様式など、どうみてもロジャー・コーマンの一連のポー物の演出を直接の参考にしていると考えるのが妥当ではないだろうか。「血を吸う」シリーズでの物語に対する精神分析学的な理屈付けに関しても、まさにロジャー・コーマンそのものだし、ロジャー・コーマンが山本迪夫に与えた影響について我々は深く認識する必要があるに違いない。

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