そりゃ聞こえませぬ、伝兵衛さん!文楽の名作『近頃河原達引 堀川猿廻しの段』

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NHKの古典芸能への招待で観ました。録画したのはなんと4年前ですね!

■堀川あたりのボロ家に棲む盲目の母と猿回しの兄のもとに祇園の遊女おしゅんが帰ってくるけど、河原で起こった刃傷事件の原因となっており、言い交わした伝兵衛が殺しにくるのではと兄は気が気じゃない。案の定伝兵衛がやってくるけど、妹に書かせたはずの去り状の中身は、心中を心に決めて母と兄にむけた詫び状であった。女(おなご)の道を立て、真の女夫(みょうと)になるためには一緒に死ななければならない。その決意に、母は娘の女心はわかったけど、どこかに落ち延びて生きてくれと泣く。兄はふたりの死出の門出の祝言のため、お初徳兵衛を出し物にした哀しくも滑稽な猿回しを披露するのだった。

■というお話で、当時実際に起った3つの話題の事件(おしゅん伝兵衛心中事件+四条河原の喧嘩刃傷事件+猿回しが盲目の母に孝行して表彰された出来事)を盛り込んだ、世話物。約250年前の作だけど、世俗の出来事をモチーフとしているゆえにかなりリアルだし、登場人物の心理とか思いが無理なく理解できる。おしゅんの伝兵衛と添い遂げる、というか男を一人で死なせては女(おなご)の道が廃る!という決意の激しさは、まるで増村映画のヒロインそのものでやけに颯爽としてかっこいいし、家とか主君とか男とか、何かの犠牲者としての女ではなく、自分の意思(意地?)を貫き通す女性像は、250年前の当時どう観られていたのだろうか。

「あんた、そんないい草があるんか?うちらは女夫(めおと)の契りを言い交わしたんと違うんか?女夫(めおと)は生きるも死ぬも一心同体と誓うたのと違うんか?なんで一人で死ぬからお前は死ぬな、とか言うてんねん。あほか。じぶんを一人で死なせたら、うちの女(おなご)の道が廃るんや。」(ヤンキーことば超訳)ヤンキーというか、極妻?でも痺れるよ、おしゅんさん。。。

■非常に有名な出し物らしいけど、初めて観ました。「そりゃ聞こえませぬ、伝兵衛さん」という台詞だけ、なんとなく知ってるから不思議だなあ。それに非常によくできた劇化で、近松の心中ものと同様に今見ても全く古びていない。深刻な心中劇にコメディ要員の兄を絡めたあたりの作劇は、それこそ坂元裕二を想起した。坂元裕二のメソッドって、意外と古典的だったのだ。

■リアルに当時の社会階層のありようを訴えていて、堀川近辺の被差別の民に目が向けられている。妹は遊女、兄は猿回し。どちらも賤民として認識された。そのなかで育まれたおしゅんの近代的自我。

■「めおと」は「夫婦」と書くものと思っていたけど、文楽では「女夫」と書いて「めおと(みょうと)」と読ませるのも興味深かった。たしかに「めおと」なら「女夫」と書くほうが普通で、「夫婦」でそう読ませるのは後付けだろう。いまでは一般的に「夫婦」と書いてしまうけど、昔は「女夫」と書いていたわけか。女が先だろという価値観が、実は昔は普通にあって、どこかで家父長制や軍国主義(?)や国家神道(?)などの作為によって逆転されて、「夫婦」に収斂されていったのではないか?というのは仮説だけど、誰かそんな研究してないかなあ。

男に武士道があるのなら、女には「女(おなご)の道」があるはずだ。それを(暗に)言うのは賤民である祇園先斗町の遊女である。約250年前によくそんなこと言ったよなあ。「文明」はいろんな原因で一時的に退化する現象が知られていて、何百年後に再発見が行われたりするらしいけど、日本の社会でもそんなことが起こっていたのだろうか。

■猿回しの与次郎には作者の視点が仮託されていて、有事には不要不急と烙印を押される芸能に従事する「遊芸の民」であり、平民からは賤視される身分だけど、社会のしがらみの中で敗れ去って死んでゆく若者たちに、一瞬でもこの世に晴れがましい時間を夢見させることができるのは、俺達の芸だけなのだという自負を示す。あなたたちは確かにこの時代に生きていた。決して表の歴史に残ることはない一般庶民の人生の浮き沈みだけど、その哀しみや意地や誇りや美しさを無かったことにはさせない。そんな強い意志を感じさせる、なぜか非常に現代的な傑作。

近頃河原の達引 堀川猿廻しの段

近頃河原の達引 堀川猿廻しの段

  • アーティスト:竹本駒之助
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