【ネタバレ有〼】黒岩重吾の短編集『西成山王ホテル』と大映映画『やくざ絶唱』について

増村保造の『やくざ絶唱』が原作モノで、黒岩重吾の短編「崖の花」という短編が原作であることや、「西成山王ホテル」という短編集に収録されていて、しかも近年再刊されて結構売れているという経緯はつい最近知ったことです。

■映画についての記事は以下に書きましたが、そもそも阿倍野区旭町や西成界隈のお話を新宿に移植しています。正直、それは残念だと感じますが、映画自体はさすがにできが良いんですね。そこは増村クオリティで、構築に破綻がない。でもホントは大映京都で大阪弁で撮ってほしかった。(個人的には池広一夫とか三隅研次の監督で、森田富士郎キャメラが良かったと思う!)
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■原作小説はあかねという妹が主役で、兄の実の気持ちは書き込まれていない。おそらくそのまま脚本化したほうが増村むきだったと思う。映画は勝新主演のヤクザ映画という企画だったと思われ、兄の暴力活劇シーンが尺を食っている。原作では直接の暴力場面はほぼないのだ。

■意外にも映画は原作の筋運びにかなり忠実で、そこは池田一朗が職人的に書いているし、おそらく増村の志向を汲んで改変しているだろう。あかねという女子高生の生き方がメインになるのだが、終盤は大胆に改変している。改めて考えると、大谷直子よりも自社の関根惠子で良かったんじゃないかなとも思う。原作で衝撃的だった、あかねが兄の暴力売春行為の現場を目撃する場面は残してほしかった気がするけど。

■原作と映画の比較で大きく異なるのが、登場人物の血の繋がり関係で、以下のように変化している。

  • 原作 あかねから見て、実は実兄で、犬丸裕二は異母兄 →(あかねは両者ともに血が繋がっている)
  • 映画 あかねから見て、実は異父兄で、犬丸裕二とは血縁がない(犬丸家の養子) →(あかねと裕二とは血が繋がっていない)

■この設定の違いによって、最終的に兄妹の相克はどんな悲劇的な決着をむかえるのかが、大きく異なる。映画版のほうがシンプルでむしろすんなりと理解しやすいと感じるが、類型的にも見えてしまう。あかねは裕二と愛し合い、結婚できないなら兄を殺して自分も死ぬと迫る。その意志の強さにあかねが大人の女になったことを理解し、妹を独占したいという秘めた願いはこの世のどこにも持って行き場がないことをやっと悟り、あかねを開放し、自らはその愛に殉じるという結末に至る。勝新が演じるから単に粗暴な男にしか見えないんだけど、そういうデリケートな心理ドラマになっている。

■原作ではそこに大きな違いがあり、あくまであかねの主体的な選択と行動のドラマとして決着する。原作では実も裕二も血の繋がった兄で、その間であかねが煩悩する。あかねは成熟した大人の女として兄である裕二に初めての愛を感じるが、血の繋がりゆえ肉体の結婚は禁忌となっている。でもあかねは裕二を騙して関係してしまう。おそらくは死を覚悟のうえでの行為だが、原作の描写には心理的な飛躍があり、悲劇的な結末を叙事的に淡々と記述して安易なメロドラマにはしない。

■そして、本来こちらのほうが増村悲劇に相応しいと思う。多分企画者も原作のそこに注目して増村にピッタリと思ったはずだからね。それに、原作を読んで映画を観に行った人はラストに増村映画に相応しい血みどろの兄妹心中を期待していたはずだから、拍子抜けしたかもしれないよね。

参考



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なんだかこの当時心中物が流行っていたのかな?
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