絶海の孤島で児童虐待の奴隷労働?「舵子事件」を描いた『怒りの孤島』は当時どんな反響を呼んだのか?水木洋子と佐藤忠男の場合

水木洋子が瀬戸内海の孤島で起こった児童虐待「舵子事件」を描いた久松静児監督の『怒りの孤島』は現在幻の映画になっています。製作会社の日映が弱小プロダクションですぐに解消してしまい、権利関係やネガフィルムの行方が不明になっているからです。すでにどこかの時点でネガフィルム自体がジャンク処分されている可能性も否定できません。

■かろうじて、公開当時にはかなりの話題作だったので、様々な批評や評論が残されていて、映画の感触を間接的に知ることができます。当時の映画雑誌や週刊誌などからそんないくつかの反響を取り上げてみましょう。なんとなく、こんな映画なんだなあというぼんやりとした印象が浮かんでくるのではないでしょうか。

佐藤忠男の批評

■映画批評1957年12月号の佐藤忠男の批評は総体的に好意的です。以下のような概要です。

  • 今井正の『純愛物語』よりずっと実感がこもっている
  • 美しい風景と民謡で、観光映画のよう
  • ショッキングな見せ場は前半でおわり、後半は社会劇を提出する
  • 島の美しい情景描写
  • 二木てるみの扱いのくどさなど、泣かせようとする作為は目立つ

■なんとなく、映画全体の構成や狙い所が予想できますね。前半で少年たちの過酷な労働環境や虐待の実態を示して、舵子5人の脱出劇によって後半は島の漁民が地方自治体の監督官や労働基準監督官から事情聴取を受けるけど、何が悪いのかと悪びれず素朴に回答するという流れ。

■加えて、

ことに、耳の遠い、のろまで従順な子供に扮した少年など、ただうすぼんやりとつっ立っているだけで日本の貧しい家庭をそのものズバリとイメージさせる力がある。

とか、

一人々々の少年のマスクが、自ずからドラマを動かしていっているようなこころよさがある。

として、舵子を演じた少年たちの配役の妙に触れています。なにしろ一度見たら忘れられない鈴木和夫が主演なので、他の子役も含めてさもありなんというところです。

■また後半では、「舵子たちの取扱に罪の意識を感じない漁師の一人が、俺だって元は舵子だったんだ、苦労させて仕込むのがなぜ悪い!と労働基準監督官に食ってかかる場面」が描かれるそうです。現実に当時そういう人はいたそうです。

水木洋子の自己批評

■映画評論1959年7月号「小説と映画-その表現の主体性をめぐって-」という対談での武田泰淳、岩崎昶との座談会で、水木洋子は以下のような内容を述べています。ただし、映画公開時ではなく、後年の回想になります。

■ちゃんと久松監督に配慮したコメントで、たぶん本心ではもっと怒っていたでしょうが、大人の対応です。えらいね。武田泰淳て、当時から大作家だったらしいから、かなり気兼ねしている感じもありますがね。

  • 台風シーズンにロケに出かけ、撮りきれなかった
  • 久松監督がPも兼ねているので撮影期間の延長はできなかった
  • そのため脚本を監督がかなり変更した
  • あとで監督からは了承してくださいと言われた
  • 最後の児童憲章はその端的な例で、脚本には書いていない
  • 主張しているものがだいぶ違ってしまった
  • 久松監督は子役の寝冷えの心配までして、ロケ現場で筆舌に尽くせない苦労をしたようだ
  • 地方からの反響は『ひめゆりの塔』以来の強さだった

■一方で、武田は辛辣で、

  • 孤島の凄みが全然出ていない(八丈島はもっと凄かったなど)
  • 漁師というものも全然出ていない。漁師がなぜあんな問題になっているのか
  • 少年もなぜあんな過去が必要なのか重苦しさが出ていない
  • あれはやめようとおもえばいつでもやめられる

などと、かなり批判的です。とはいえ、武田泰淳が公開時にちゃんと観ているわけで、やはり話題作だったわけです。

■今回は以上のとおり、2件の反響を紹介しました。まだ他にも資料はあるので、後日追加記事を出したいと思います。



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