『映画女優 若尾文子』

映画女優 若尾文子

映画女優 若尾文子

若尾文子に関する多分本邦唯一の書籍。本当に意外なのだが、写真集とか評伝といったものが一切出ていないのだという。実際、大映倒産以降、若尾文子はテレビ女優というイメージになってしまったし、どちらかと言えばお茶の間のおば様方の人気者という位置づけになってしまったためだろう。
フェミニズムの視点から書かれた「妻は告白する」「夫が見た」「清作の妻」の分析のあたりが読みどころで、気づかされるところも少なくない。「夫が見た」の田宮二郎が血の海に没するラストは、去勢を意味するという読みは、意識したことがなかったが、言われてみれば確かにそのとおりだ。岸田今日子に腹を刺されて悶絶する様は、命を喪うことよりも、男を喪うという意味で重大事なのだ。「清作の妻」の五寸釘で両目を突くという凶行も、明治の男に対する社会的去勢そのものだ。
若尾文子という美しい怪物は、一途に男を愛しぬいて、そのことで家父長制的なシステムから解放されるのだが、それと同時に彼女の求めていた男性自体を解体してしまうというジレンマの中で孤立する。怪物は常に孤独であるという意味で、増村保造の映画は、怪獣映画に似ている。しかし、怪物は自分自身が滅亡する運命を背負うのに対し、若尾文子は常に求めた男を滅亡させるのだ。初期的試みである「妻は告白する」では、まだ滅亡していた若尾文子という怪物は、「夫が見た」「清作の妻」では、その怪物性を完成させている。