『特撮円谷組』

特撮円谷組 ~ゴジラと、東宝特撮にかけた青春~

特撮円谷組 ~ゴジラと、東宝特撮にかけた青春~

  • 作者:ゴジラ・会
  • 発売日: 2010/09/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
■ついに出た待望の一冊。一気に読み通してしまった。基本的に円谷英二時代を振り返り、昔は良かったね、昭和万歳という作りの本なのだが、節々から、そうそう単純には終わらない現実の姿を垣間見ることができるところが、むしろ貴重で読みどころ。ステージの裏山で蛇を捕って酒の肴にしたとか、撮影所内に勝手に池を作って鯉を飼って食べたとか、豪快で野蛮なエピソードにが痺れる。
東宝特殊技術課の事務スタッフを含むほぼ全パートの職人たちの証言が載っているのだが、何故か操演だけが登場しない。中代文雄、松本光司は故人らしいが、小川昭二は存命なのではないだろうか。
東宝特撮の黄金期といっても、「ゴジラ」から「日本海大海戦」までの15年間、特殊技術課が正式に再建されてからだと約10年間くらいの話なので、実際のスタッフたちは、円谷英二亡き後の厳しい時代の方が実は長かったわけなので、そのあたりが多少語られているところが興味深い。キャメラマン助手としては失敗ばかりで制作事務に移った人とか、円谷組の残業に泣かされた制作スタッフといった珍しい証言も載っていて、結構リアルな東宝特殊技術課史になっている。でも、一番気になるのは、円谷英二死後の東宝大改革による特殊技術課解体のあたりの生々しい実態とどろどろした人間関係だったりするのだが。
■もっと東宝特撮黄金期を顧みても、円谷英二は昭和30年代の後半はテレビに気持ちが移っており、昭和30年代終盤は完全に円谷プロの方が主体で、東宝の仕事にはあまり気が入っていない様子が有川貞昌によって語られているし、晩年は東宝特撮の製作本数が激減し、円谷自身も気に病んでいた様子が見て取れる。円谷プロも経営的に苦しい時代だったし、心労もひとしおであっただろう。糖尿病の持病もあったので、心労が寿命を縮めた可能性は少なくないだろう。東宝特殊技術課の全盛期は、実質5年くらいなのではないか。
■驚いたのは、堺正章の「西遊記」で有名な作画合成の石井義雄が「ガッパ」や「ギララ」でも作画を担当していたり(まあ「ガッパ」なんて光学撮影も真野田幸雄だから当然かもしれないが)、東映大映でも作画合成を手掛けていたという事実や、飯塚定雄も湯浅憲明に頼まれてガメラのエフェクトアニメを手伝っていたというあたり。石井義雄は市川崑の映画の常連でもあったが、稲垣浩の「大阪城物語」の作画などに注目していたのだとか。



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