『特撮魂 東宝特撮奮戦紀』

■特に興味深いのは、川北紘一東宝に入社するまでの部分で、これまでもあまり詳細に語られなかった内容を含んでいて、昭和37年当時の東宝特撮の現場の雰囲気の一端を伝えている。

■当時の東宝特撮現場は実質的に有川貞昌が仕切っており、現場では非常に厳しかったというエピソードも興味深い。その昔、伊丹グリーン劇場にゲストで登場したときの歯に衣着せぬ毒舌ぶりからして、納得がいく。そういえば、川北紘一のことも、”生意気な奴”だとこき下ろされていたなあ。でも「ゴジラVSメカゴジラ」の封切り前だったので、あれは川北でないと撮れない、と弟子を褒めていたよ。懐かしい思い出だ。

中野昭慶の担当した映画で、これはと目を見張った合成カットはほとんどが助監督として付いた川北紘一が映像設計したことは有名だが、ここでも具体的に証言されている。「日本沈没」の皇居場面の意欲的な作画合成とかね。この種明かしは貴重なものだ。さらに「ゴジラ対メカゴジラ」の時には、「日本沈没」の中野昭慶ゴジラを撮るんだからそのつもりでね、とクギを指したが、中野昭慶のほうが一枚上手で、そんな気負いが全く無かったとか。川北は、パニック映画的なゴジラ映画をイメージしていたらしい。

川北紘一は室内合成時代に合成技術に精通すると同時に、より重要な合成演出にも通じていたことが、後に演出家として活躍するうえで非常に重要な素地になっており、さらに円谷英二の没にしたフィルムを勝手に編集することで、編集技術とセンスを習得したことで、東宝特撮中興の祖となれたのだ。ものづくり一般の現場の記録としても貴重な本だ。

■巻末のフィルモグラフィーは非常に有益だが、「恐怖劇場アンバランス」の光学撮影が漏れてませんか。多分、川北が始めて正式にクレジットされた作品ですよ。テレビ放映は、「ウルトラマンA」の特殊技術デビュー後になってしまうのだが。

参考



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