(FINAL DESTINATION Ⅱ)
2003/VV
(2003/7/9 MOVIX京都/SC6)
感想(旧HPより転載)
主人公(A・J・クック)がハイウェイ事故を予見したおかげで命拾いした人々が次々に異常な死に方を遂げてゆく。1年前の飛行機事故後に高校生たちに起こった奇怪な事件との共通性に気づいた主人公は死のルールから逃れるため、唯一の生き残りであるクレア(アリ・ラーター)を精神病院に訪ねるのだが・・・
近年稀に見る快作であった「ファイナル・デスティネーション」の待ちに待った続編だが、監督がジェームス・ウォンから「マトリックス・リローデッド」のアクション監督を務めたデビッド・エリスに替わったことで、よりゲーム性が強まり、それと同時に恐怖のありかたの描写に対する感性にも変化が見られる。
ゲームの規則性に関しては、いかにも満を持してという苦心の跡が見受けられる凝った脚本に仕上がっており、死神のルールから逃れる唯一の方法を新たに提示してクライマックスに一ひねりを用意し、最後の最後まで油断がならない。その意味では、まさに一級のジェットコースター映画であり、この邦題は実に適切なものであるといえる。
特筆すべきは姿を見せない死神の犠牲者の凝りに凝ったアイディア満載の死に様のオンパレードについてであり、その意味では新たなより知的なスラッシャー映画の新シリーズといってもよいだろう。実際、製作者の意図としては、13日の金曜日シリーズのような客層を想定しているのだろう。
導入の高速道路の事故シーンはホラーというよりもスペクタクルであり、前作の息苦しいほどのサスペンスは息を潜めているが、中盤の見せ場となる交通事故車からの救出劇を巡る物理的サスペンスは、なかなか秀逸な趣向で、誰しも呆気にとられるだろう。
ただ、今回の作品では、前作に顕著であった「死」の気配の演出がすっかり捨象されており、せっかく近年の日本製ホラー映画が発掘した気配の演出、ひいては現代劇としてのホラーに怪奇映画的情感を招き入れる試みという挑戦が完全に忘れ去られていることについては、明らかな意欲の後退として明記しておきたい。
それにしても、この映画はデジタルスプラッター映画の嚆矢としても銘記されるべきだろう。CGIならではの乾いた質感が惨たらしい人体破壊の生々しさを適度に和らげて、倫理コードとの整合性を保ちながら、相当えげつないことを平然と展開して見せるのだ。
参考
maricozy.hatenablog.jp
デビッド・R・エリスという職人監督は、なかなか筋が良かったのだ。『セルラー』懐かしいね。
maricozy.hatenablog.jp
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