■伊藤博文は、なにしろ明治憲法を構想した人で、日本が近代国家に生まれ変わるときに、立憲国家の骨格や体制を構築した人、ということです。なので、どう考えても今に至るまである程度の影響を波及させる最重要人物のひとりですよね。そのことがよく分かる本です。瀧井一博氏は書きぶりが巧いので、新書だけど物語のようにも読めます。
■極端な大改革を一気に断行するタイプの政治家ではなく、「漸進主義」がキーワードです。現実的に、すこしずつ丁寧に改善を重ねていくのが良いのだという穏健な考え方だと思います。日本人の気風にも合うし、大きな体制や制度を激変すれば、損害を被ったり、押しつぶされる弱い人間が必ず出てくるからです。革命なんかおこれば、何百万人、何千万人の人死が出るわけで、そのことを理解していた人ですね。
■特に印象に残った一節は、以下の部分ですね。
欽定憲法ということからは通常、天皇が単独で憲法を国民に授与したものであり、国民の権限を抑制し、天皇の強大な政治的大権を留保したものとのイメージが導かれる。けれども伊藤にあっては、欽定憲法による国民の政治参加の権利と機会の保障という側面が大書され、しかもいったん下された権利は主権者ですら「妄りに之を奪はぬ」ものとされるところに憲法の真価が求められているのである。(p.161)
「いまや国民は天皇ですら侵すことのできない政治上の権利を保有して」いると伊藤は説いており、明治憲法下でも、民主的な政治体制を強く志向していたわけですね。日本は天皇主権だけど、天皇も神の命令(あるいは委託)で統治しているわけで、日本は天皇のものではないし、いったん国民に認めた権利は簡単に返せとコラとか言えない性質のものだと。もともと最初は。それが、世代が変わっていくにつれて、最初の意図が忘れられてしまう。あるいは意図的に上書きモードで修正されてしまう。天皇がストレートに神とみなされ、絶対的な権威だということに乱暴に単純化されてしまう。伊藤らはそんなことは考えていなかったのに。
■さらに、帷幄上奏権に関して、軍令(作戦や実施)と軍政(予算や人事)の線引を判断する際に、陸軍当局が抵抗して軍令の部分を拡大解釈しようとするので、伊藤とぶつかって、結局伊藤は妥協して軍令が拡大したけど、その際に陸軍の総帥山県有朋は単純に喜んだかといえばそうでなく、「お前達調法なものが出来たと思って、濫用したら承知せぬぞ」と軍令の濫発について部下に釘を差したそうです。物事の始めは、このようにわりと理屈が通っているのに、人が変わり時代を下ると、最初の思いや意図から、どんどん外れて既得権益化していくわけですね。
