民主主義の社会に「バカな国民」は一人もいないはず、という建前とは!?橋本治の『国家を考えてみよう』

橋本治は惜しくも亡くなってしまいましたが、当然ながら良い本を書いてますよ。個人的には徳間書店版『完本チャンバラ時代劇講座』は昔、貪るように読みました。これは名著だと思いますよ。

■2016年に、ちくまプリマー新書に興味深いテーマで書かれたものを発見して早速読みました。安倍政権下の恐怖政治を憂いて書かれた『国家を考えてみよう』です。さらっと読み下せてしまうけど、さすがにエッセンスが濃いですね。以下、印象に残ったくだりを備忘的に書き残しておきます。

市民社会の形成が遅れは致命的?

■単純に国家て、英語ではnationとstateの2種類があり、前者は国民のこと、後者は領土のことを主に指しているように、成り立ちのイメージが違うのですね。それは確かに、そうだなあ。と目からウロコ。

封建制度についても、イメージと違って、基本的には契約関係のことで、「忠義を尽くす」とか「忠誠を誓う」という考え方は封建制度由来のものではなく、儒教の思想から来ているそう。じっさい、儒教の教えは日本の古来の思想の根本に根深く絡んでいて、万世一系(?)の天皇制だって、諸々の制度や思想は儒教に発している。このあたりは、別途以下のような本があるので、いずれ読みたい。

■あとは、ドイツは英米などに比べて市民社会の形成が遅れたので、民主主義が扱いきれず、ワイマール共和国からナチスドイツへの急降下が起こったとか。同じことは、明治維新でドイツを手本にした日本でも生じたわけですね。市民社会の形成の遅れという要因は、かなり決定的な影響を及ぼしている気はする。今に至るまでね。

人間は民主主義に耐えられるの?

「民主主義の政治というものは、その政治を支える国民の頭のレベルを、まともでかなり高いものと想定して、これを前提にしています。」というくだりも印象的。民主主義の社会に「バカな国民」は一人もいないはず、という建前で成り立っているということ。このあたりは、古典的な経済学が超合理的な人間をモデルとして理論を発展したことと通底する気がする。現実の人間は認知バイアスだらけで生きていて、合理的な判断能力には限りがあることがいまや明らかになったわけで、民主主義は根本的に無理があるのかもしれないとすら感じる。

■だから、民主主義が市民に浸透するには、市民革命の痛みと成功体験を経験したり、適切な教育で根付かせたり、それなりの代償や努力が必要で、それが上手くいかないと、民主主義は自分の能力に比して重すぎると感じるようになって、フロムのいう『自由からの逃走』が発生することになるでしょう。

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