国際政治学者が東大憲法学者ムラに殴り込み!篠田英朗の『はじめての憲法』&『ほんとうの憲法:戦後日本憲法学批判』

『はじめての憲法

■『はじめての憲法』とうたって、ティーン読者向けに書かれた本だけど、国際政治学国際法の観点から、日本国憲法(特に9条あたり)を批判的に解釈するという、なかなかのクセ球です。若い人が最初にこれを読んで理解できるのだろうか?まずは、オーソドックスな学説(通説)を学ぶほうが、無難な気はしますよ。

■もともと日本国憲法は、太平洋憲章とか国連憲章を下敷きにして、その重要な部分を引用しながら英語で書かれたものなので、そもそもが国際法と一体不可分な存在です。それは事実その通り。筆者が強調するのは、それらが英米流の社会契約思想に基づいて書かれたものなので、日本国憲法の解釈も同じ視点からするべきで、明治以降の日本の憲法学の主流であるドイツ憲法学流の理論で行うから、憲法解釈が歪なことになるという点です。極端な例が有名な「八月革命説」ですね。

■特に重要なのは、国際法憲法の上位に位置するのか?という点で、国際政治学者は当然のことと考えるけど、憲法学者は当然憲法が優位だと唱える。諸説ありますというのが正しいのだろうけど。著者はもともと国際PKOとして活動していて、憲法解釈で自衛隊PKO活動に制約がかかるのをよしとしない立場です。日本はもっと平和構築にむけて国際貢献ができるはずなのに!という立ち位置です。なんとなく『機動警察パトレイバー 2 the Movie』を想起するところです。

■でも、国民の気持ちとしては、どうせ政府は国民の基本的人権を蔑ろにするような悪いことを考えるに違いない(明治憲法体制下での敗戦体験というトラウマがそうさせる)ので、自衛隊の活動範囲を拡大すると、侵略戦争を始めるに違いないと考えます。アジアの周辺国も同じです。だから、国民が制約をかけている。筆者も認める立憲主義そのもののプロセスです。ならば、自衛隊でない、違う形の国際貢献を行えばいいじゃないかということです。

■例えば、フィリピンで『超電磁ロボ ボルテスⅤ』が国民的人気を博して、その主題歌が第二の国歌とまで呼ばれて広く愛される、そのことによって日本はフィリピン国民から特別な位置づけを自然と獲得し、根付かせることができたのではないか。狙ってそうしたわけではなく、いろんな文化を発信をする中で、たまたまアンテナに引っかかるものが生まれる。そういった文化的な幅広い継続的な浸透や交流こそが日本の国柄にふさわしい草の根の国際貢献ではないか。そうあってほしいと、思うんですがね。

maricozy.hatenablog.jp

■この本を読んだだけでは、正直どこまで筆者の主張に具体的な根拠とか背景があるのか不明なので判断に困ります。一般向けに書かれた『ほんとうの憲法』を読んだほうが理解しやすいのかもしれません。法律学の体系的な教育を受けていないので、いちがいにどうこう言えないので、判断保留ですよ!

『ほんとうの憲法

■ということで、『ほんとうの憲法』も読みました。どうしても書きぶりで腑に落ちない、分かりにくいところが残るのですが、『はじめての憲法』よりも、理解しやすい気がします。正直、論旨の書きぶりについては編集というか、ブラッシュアップが可能だと思います。むしろ、最近の以下の記事のほうが論旨が分かりやすい。
www.jfir.or.jp

■ドイツ流に国家法人説をとるから「統治権」なんて言い出すけど、いまや存在しない幻だという主張です。「交戦権」も同様に、国際法体系に存在しない過去のものだと。英米法の大家だった高柳賢三(さすがに知らん)の言葉を引きながら、憲法9条は「政治的マニュフェスト」なので、単純に字義的に解釈しても詮無いことといいます。

■東大の憲法学コミュニティが大陸法の理念で憲法を解釈するのがおかしくて、アメリカが実質的に憲法を書いたのだから、英米法の考え方で憲法を素直にみないと文脈が理解できず、屁理屈が横行することになるといいます。ただ、例えばアメリカの「主権」概念とか「立憲主義」の理解は、日本や他の東アジアの伝統的な政治哲学からすると、かなり特殊なローカル(?)ルールに見えるのも確か。独立性の非常に高い州からなる連邦国家だし。

■ロック流の考え方から、アメリカでは人民の「主権」を取り出して、州や連邦に契約により「信託」するので、一部の「主権」が移動するというイメージらしいけど、ドイツの場合は、人民以前に国家ありき、国家は生命体だ!の発想だし、日本も明治期に(民主主義先進国の過激な)イギリス流ではなく(比較的後進国で王の力が強い)ドイツ流の国家学思想を選択したので、日本では伝統的にドイツ流の解釈で、憲法を捉えようとするわけですね。ただ、戦後の日本国憲法はドイツ流ではなく、英米流の思想に基づく建付けにモードチェンジしてしまったので、すなおにそれを認めろよ、と言いたいわけですね。

■だから、主権者である国民が、憲法で為政者を縛るとする憲法解釈ではなく、あるべきは「法の支配」であって、主権者の方も縛られると主張します。ただ、これが怖いのは、自民党憲法改正草案のような、時代錯誤で復古主義的な改憲をされて、せっかく人類が血と汗の結晶として獲得した基本的人権が制約される方向に行きかねないところですね。

■本書を読んでも、やっぱり法律の体系的な勉強はしていないので、どこまで信じて良いのか判断がつきませんね。もう少しお勉強しないと手におえません。こんな考え方もあるという相対化の視点としては、ユニークだし勉強になりました。国際法体系や国際協調主義の観点から憲法を理解すべきというところは、全くそのとおりだと思います。

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