■日本において「民主主義」は、アジア・太平洋戦争の敗戦後に突然そうなったのではなく、明治憲法公布以降は漸進的に国民に浸透していたのだと著者は主張します。日中戦争が勃発するまでは、デモクラシーの最盛期にあったのだと。確かに、日本人は敗戦後に、米国に言われるままに急に民主主義に急転回したという史観も極端な気はしますね。自由民権運動や大正デモクラシーの時代があったので、そんな気もするけど、下々の国民一般まで普及していたのかどうかは怪しい気がするなあ。いまだに、必ずしも浸透していない気はするなあ。
■さらに、「万世一系」の天皇が支配する専制的な憲法体制などというものは、日中戦争が勃発する以前の日本には存在しなかったといいます。日中戦争からアジア・太平洋戦争の敗戦までの8年間が特異な時期であって、明治憲法に罪はなくて、国民が愚かだったのだといいます。某右派評論家も同様の見立てだったよなあ。明治憲法に対して思い入れが強すぎる(?)気はしますが、一理ある気はします。でも、明治憲法て、制定趣旨や逐条解説を起草者自身が書いて広く公開しているところなど妙に良心的だし、GHQが徹夜で(?)ひねり出した付け焼き刃の現行憲法よりよほど時間をかけてしっかり作られた経緯があるのは事実なんだよな。。。
■ただし、著者が言う通り「保守主義」と「復古主義」の区別は厳しく峻別する必要があると思います。この宇宙の基本法則が「万物流転(万物は変化する)」である以上、基本的に「復古主義」は誤った考え方だから。「一体過去のどの時代にあったのかわからない美しい日本を取り戻そうと唱え」ることの理不尽さを、著者もそうした「復古主義」と批判します。当然のことですね。
■さらに、日本では、ヨーロッパ諸国と違って第一次世界大戦の惨禍を経験していなかったので、反軍国主義は当時の国民には普及していなかったという指摘も意義深いですね。日清、日露の戦争で勝ち続けていて、それでも将兵はたくさん死んだので、国民の中には厭戦気分もあったはずだけど、なにしろ子沢山でたくさん生まれてたくさん死ぬのが当然の時代だし、人の命が安かった時代(これ重要)でもあり、今のような反響を呼ばないわけですね。(舛田利雄の『二百三高地』がその実感を伝えている気がします。)何しろ、腐敗した重臣、政治家や財閥たちと違って、軍人は金に縁がないので清廉であるというイメージがあり、軍は一般国民に支持されたといいますからね。今のわれわれの感覚をそのまま昔の時代に適用しては、見誤ることになるのですね。