■伊藤博文って、いままでは理念のない、軽佻浮薄な日和見主義者あるいは現実主義者というイメージだったらしいけど、最近再評価が進んでいて、その一角を担っているのが本書。瀧井一博という先生、まだ(相対的に?)若いのに、文章の書きぶりが妙に年寄り臭くて、そんな漢語表現いまどき使わないよという部分がかなりあって、文学的素養を感じさせますね。(良い方に解釈しましたよ!)
■日本の近現代史、ひいてはアジア・太平洋戦争での大敗を解釈するのに、明治の体制が、どんな考え方に基づいてできたのか?というのは非常に重要な、というか、根本的な問題で、そこを理解するに、非常に役立つ本。そして、書きぶりが上手いので、展開が面白して、読書の満足感も得られる。べた褒めですよ。
■肝になるのは、イギリスは社会契約説に基づいて、人民の意志で契約により王様が置かれているけど、明治の日本がそれを踏襲するのは過激すぎるという考え方が主流だったという点。大隈重信らの自由民権運動派は明治維新の勢いで一気に英国流を望んだけど、それはすなわち、人民に革命権を留保することを意味し、理論上は、万世一系(?)の天皇の首が飛ぶことに繋がりかねない過激な思想(イギリスでは実際に実行した)ですね。
■対して、穏健派、漸進主義の伊藤博文らは、むしろドイツの国家法人説(国家は有機的な生命体だ!)に共感し、「人民あっての国家」ではなく、「国家あっての人民」という思想に、日本の歴史や国民性との親和性を見出す、と。
■ここが、とても重要なところで、日本の命運をわけた選択ですね。現行の日本国憲法の解釈でも、主流派はドイツ流に解釈するし、異端派は英米流に解釈すべしという。現行憲法は、明治憲法とは異なり、英米流の思想下に作られたのだからという主張があります。自民党の日本国憲法改正草案などは、復古主義的で旧来のドイツ流の国家法人説の影響下にあるでしょうね。露骨に国家主義(≒国粋主義、超国家主義)ですからね。現在の国際社会基準では、英米流の解釈が一般的だという主張があります。
■さらに、当時の欧州ではどこも議会は紛糾し、政策課題の決定に難渋していたので、後進国の日本が議会を開くことは慎重にしたほうがいいとアドバイスを受ける。内閣の権限を強くして、物事をスムーズに決められるようにしたほうが無難だよと。実際、明治の日本では人民の政治参加などという意識や教養は普及しておらず、議会といっても、せいぜい一部のエスタブリッシュメントしか参加できないだろうけど、それにしても、利益代表のぶつかり合いになって、紛糾するだろうと。
■でも、日本がなんとか西欧列強に伍する国になれたのは、伊藤博文の体現する漸進主義を選択したことの意義は大きいと感じますね。明治維新は「革命」ではなく「政変」(クーデター)だったわけだけど、イギリスに倣えば、明治維新のその後ほんとうの「革命」が起こったかもしれないのだ。いや、それはそれで良かったのかもしれないけどね。そうであれば、無謀な戦争に突っ込むことはなかったかもしれないから。。。
■まあ、民主主義後進国の日本では、まだまだ民主主義というツールは使いこなせていないというのが実感ですね。東アジア地域では、「王」の絶対権力の下で政治には無頓着に暮らすのが一般民衆という構図が何百年間もかけてDNAに刷り込まれてますからね。そうそう簡単には意識(&無意識)のアップデートできないわけです。多分、塗り替わるのに何百年もかかるんじゃないですかね。その間に、まだまだいろんな痛い目に遭うこになるでしょう。
