■趣味のブログなので基本的にあまり政治的な記事は書かないようにしているところですが、最近立て続けに読んだ本で、すっかり啓蒙されてしまったので、備忘として記録しておこうと思います。
■まず矢部宏治の企画した戦後史再発見シリーズをいくつか読みました。これは衝撃的でした。太平洋戦争で敗北した日本は、いまも米国の属国であることを、機密解除された米国公文書から明かしてゆく、説得力抜群の著作群です。まさに目から鱗が何枚も落ちる経験でした。昔は確かにそうかもしれないけど、経済発展も遂げて、今は違うでしょと、なんとなく思い込んでいたけど、戦勝国が若い国民(兵士)の血で贖った敗戦国に対する破格な特権は、容易に手放すはずがないのでした。だから、基地は永遠になくならないし、日本の上空はどこでも米軍機が飛行できる。確かに、そうだよなあ。日本に比べれば、米国は余裕で勝ったわけだけど、それにしても軍部も議会や予算の問題で、さんざん苦労していて、つまり国民は必ずしも勝ったからオールオーケーとは思っていない。当然、敗戦国からはとことん搾取し尽くすんでしょ?というのが本音。
■おまけに米国との条約や数々の密約は事実上日本国憲法の上位規定になっていて、米国が強く言えば、憲法をすっとばして政府(も国民)も言うことを聞かざるを得ないという現実には、唖然とします。さすがにそこまで酷いとは思っていなかったけど、事実そうなんです。。。特捜検察とか最高裁にも、米国の直属の指示ルートがあり、という話は陰謀論かと思いきや、いろんな公文書で明白になった事実。このシリーズを読んでいると、日米関係のあまりの惨状にしばらく鬱になってしまいます。
■その後、加藤典洋の『9条入門』『9条の戦後史』を読みました。著者の遺作で、もともとは一連の著作として書かれていたけど、あまりに大部なので、戦後すぐの部分までをまず『9条入門』として出版した。その後著者が亡くなってしまい、なんとか未定稿をもとに編集したのが『9条の戦後史』です。とにかく大部なので、読み応えがあります。
■特に『9条の戦後史』は未定稿なので、重複や冗長な部分がありますが、同じ話が何度も繰り返して出てくるので、理解が定着するという効果もある気がします。『9条入門』での、独特のポンチ絵は、山崎貴の『ゴジラ-1.0』のアイディアのオリジンではないかと、なんとなくそんな気がします。+1とか-0.5とか、独特の図版が展開されているので、どうしても印象に残ります。山崎貴も脳裏に刻んだのではないでしょうか。
■敗戦後、天皇に帰依する日本民族は特別な「光輝」(誇りとか自尊心といってもいいかも)を喪ったため、その代替物として、憲法9条の世界的も例のない理想主義に特別な「光輝」を見出して、これに帰依したというのが著者の見立てで、これ一理あると感じましたね。日本人の心理的な、心性としての、腑に落ちる納得感がありました。■冷戦終了後の混乱を経て、近年は徹底的な対米従属路線を基調としながら、一方で戦前的で復古的な国家主義を打ち出す安倍極右政権が大きく伸長するわけですが、対米従属路線なのに、なんで民族の誇りとか、美しい日本とか言ってられるのか、その矛盾にクラクラしたものですが、これも要は、対米従属だけではあまりに恥ずかしいので、そのかわりに、戦争に負ける前の日本を一種のファンタジーとして理想化し、これを誇りとみなして、心の安寧を得ようとする行為だと言われると、これも全くキレイに腑に落ちるわけです。
■著者はそこまで言わないけど、この路線の行く先には、つぎに米国と一緒に新しい戦争を戦って勝てば、こんどこそ日本は敗戦国から戦勝国に復帰することができて、長かった戦後がやっと終焉するはず、という思惑(本音!)が垣間見えるわけです。つまり、太平洋戦争には負けたけど、次の戦いではきっと勝つ、それによってこそ日本人は誇りを取り戻すことができるという『ゴジラ-1.0』のテーマに繋がるわけです。まあ、そんな胡散臭い誇りなんて、そもそも要らんわ!「粋がったらあかん、ネチョネチョ生きるこっちゃ」(1966年「893愚連隊」)と中島貞夫なら言うでしょうね。
■この分野は専門で勉強したこともないので、完全に断片的な聞きかじり、読みかじりですが、上記の一連の著作で霧が晴れた感じはしますね。でも、その晴れた先に、もっと大きな暗雲が立ち込めていたような、絶望的な感慨に襲われたのも事実です。加藤典洋も言っているように、さすがは戦争に負けた国だけのことはあるね、戦争に負けた国が絶望の底から学び取った考えはさすがに深いね、と世界中に認められ、尊敬されるような哲学や理想や理念の深化は、結局ないまま日本は今を迎え、起死回生の一発大逆転は、米国に命令されて(あるいは尻馬に乗って)一緒に戦争して、そこで勝つことでしかないのでした!残念!





