「政治的な立場に「中立」はありえません。」
■でも学校では「党派的政治教育」を行ってはいけないことになっている(これ、根本的な大問題)。だから、主権者は政治的なリテラシーが低いままだ。そういう問題認識から発して、「ひいきのチーム」を持つことが、政治的に覚醒することだと説く。いや、軽い気持ちで借りてきたけど、良い本でしたよ。大人が読んでも有意義。
「政治的なポジションは、結局のところ、二つしかありません。「体制派」か、「反体制派」か、です」
■ということです。「体制派」は皇室、国会議員、高級官僚、財界トップ、法曹界トップ、警察トップ(警察庁くらい?)、自衛隊(のトップ?)などでしょう。つまり、純粋な意味での支配機構である「国家」に所属する人々で、全日本人のうち僅かな比率しかいないはずです。これが純粋な意味での「体制派」で、それ以外は「反体制派」となるはず。その意味では日本人の殆どは「反体制派」のはずなんだけど、実際は自分も「国家」に属していると勘違いしている人や、そう信じたい人々が「ゆる体制派」「ぷち体制派」を構成するから、なんとなく多数派になってしまう。
■実は、それらの人は「国家」=「国家権力」に属していない可能性が高いんだけど、そのことに気づかない、あるいはそう思いたくない人が多いのね。もし戦争になって、軍隊が何を守るかといえば、それは「国家」(いわゆる昔の「国体」)であって、支配機構やそこに属する人間(狭義の「国民」)を守るので、それ以外の日本人、市民は切羽詰まれば最終的には切り捨てられます。前の大戦でそのことはみんな身にしみたので、それ以降日本人は政府とか支配機構を信じなくなったわけ。いま「全体主義」的な考え方にたつ人が増えていて、戦争になれば軍隊によって自分は守られるはずと思ってるでしょうが、甘い考えです。彼らのほとんどは狭義の「国家」には属していないのだから、最終的には見捨てられるのがオチです。
■日本人(あえて「国民」とは言いません。「国家」に属する「国民」とは、狭義には支配階級の意味だから。「市民」とか、「人民」でもいい)は壊滅的な敗戦のトラウマから政府を信用できないので、北欧のような「高福祉・高負担」の社会民主主義の国にはなれない。という指摘も、まったく同感ですね。不都合な情報はとことん隠そうとするし、そもそも金遣いが非常に汚いし、到底信用に足りないわけです。本来なら、政府(=「国家」)は信用できないから、税金払わないと拒否すべき状態です。ほんとは、税金や保険料が高くても、死ぬまで面倒見てくれるなら納得する日本人は多いはずだし、そんな政府(=「国家」)を持ちたいのに。
■その意味では、法律学や経済学ではなくて、よりによって心理学、社会学、文化人類学などを学んだじぶんも立派に「反体制派」なんだけど、実際には「体制」でも「反体制」でもなくて、せいぜい「アウトサイダー」なのかなと感じます。旧来のオタクはみんなそうじゃないかな。「体制」にしろ「反体制」にしろ、そもそも組織に馴染めない人間。そんな気がして「反体制派」とも正面から名乗れないところにも、戦後の日本人のトラウマがいっぱい絡んでいる気がするなあ。


