ショック!おれたち「国民」ではなかった!飯尾潤著『日本の統治構造』

■一部で名著とされる飯尾潤著『日本の統治構造』を読みました。たぶん、かなり昔に買ったまま、積読になってました。書棚からひょっこり出てきましたね。運命でしょうか。

「国民」て誰のこと?

■いろいろと興味深いトピックがあるのですが、西洋の政治学において、「国家」には人民(=people)は含まれないそうです。「国家」とは支配機構である「政府」のことを指し、人民が属するのは「国家」ではなく「社会」なので、「国家」には属さないのだそう。つまり、おれたち「国民」じゃなかったのという話で、これは衝撃です。つまりわれわれは、敢えて言えば「国民」ではなく「人民」とか「市民」であり、あえて言えば「社会民(仮)」(社会組織の一員)なのです。

■なんでそんな話になるかといえば、「国家」と「社会」の二分法が日本では理解されていないためだそうです。欧米では「国家」はなくても、「国家」以前におれたち「人民」は存在するのだというイメージで捉えるようです。日本人は、国がなければわれわれは何なの?と思い込んでしまいがちですが、国はなくともわれわれはいるわけです。なぜなら、「人民」、「市民」と「国家」の中間に「社会」があるから。ということを本書からそのことを理解して、目からウロコが落ちました。

■われわれは「国家」の持ち物でもないし、ましてや(戦前も戦後も)天皇の持ち物ではないし、「国家」はなくてもわれわれは存在しうるわけです。少なくとも理念上は。つまり、仮に支配機構が日本ではないどこかの国に置き換わったとしても、それは支配機構である「国家」=「政府」が入れ替わるだけで、われわれは「社会民(仮)」のままともいえそうです。「国家」がイデオロギーに基づいてそれを許すかどうかは別ですが、許さなければ改めて闘うしかない、戦えば良いとなるわけでしょうね。理屈上は。

■ちなみに「上級国民」というネットスラングがありますが、あれはまさに支配機構=「政府」=「国家」に属する、純粋な意味での「国民」を指していると考えられます。つまり本当は「上級」とつける必要はなくて、実は彼らだけが「国民」なのであって、われわれは「上級国民」でないのは確かだけど、それ以前にそもそも「国民」ですらなかったのです。という驚愕の事実です。

そもそも米国大統領の権限は抑制されていたのに…

■米国大統領は権限が非常に強いというイメージを持ってますが、そもそもは、米国建国時点では「権力分立」が根本原理で、大統領といえどもかなり制約する制度だったそう。強大な権力をもつのは戦時などの非常時だけという想定の建付けだった。

■それが後に徐々に変質してゆき、議会に対して大統領優位の仕組みに変質してしまったそう。米国の制度の根本的な骨組みは、だからあくまで日本よりも高度な「権力分立」になってます、ということ。意外でしたね。

政治教育はとても重要

■それ以外にもいろいろと気になるポイントは多いけど、このくだりを引用しておきましょう。さらっと含蓄が深いと思います。日本では戦後の一時期に学生運動が苛烈化して、教育現場も共産党の党派性が浸透したことなどの反動で、国の方針として基本的に学校では政治には触れないことになったことの悪影響は非常に大きかったと思います。ちゃんと教育しないから、ネットのデマや扇動に簡単に引っかかってしまうのです。自分の首を絞めることになるとも知らずにね。

「政治教育の必要性が一般には認められながら、なかなか定着しないのは、こうした党派性への拒否感が強いためである。党派性とかかわりを持たずに有効な政治教育を行うことはできない。党派間の公平への配慮は必要だが、公平性の幅を狭くしてしまえば、教育機会がつまらないものになりがちである。」

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