特撮研究補遺:佐藤忠男の『世界大戦争』評が興味深いのでご紹介

■映画評論家の佐藤忠男は日本の映画評論界の重鎮で、先日大往生されたところですが、個人的に映画評論家としてはもっとも尊敬している人でした。もちろん、思考の枠組みが古くて、さすがに今どきそんなフレームで捉えても無理があるだろうとか、結構個人的な好悪が入るので、一刀両断にするのは勿体ないなあと感じたことも多数ありますが、それでも独特の読ませる文章力には感銘を受けました。映画評なのに、なんであんなに官能的な文章なんだと感じ入ったことは多々あります。

■このところ東宝映画『世界大戦争』について資料を探索するうちに、佐藤忠男の映画評「映画「世界大戦争」について」(国民文化1961年11月号 国民文化会議)を発見しました。その主張はいかにも1961年当時の左派論壇のステロタイプですが、それでも当時の時代背景のなかであの映画がどう観られたかをよく伝えています。今では、ピンとこなくなってますからね。

■貴重なのは、佐藤忠男東宝のプロデューサーに質問した回答が書かれていることで、それが田中友幸なのか藤本真澄なのかは明示されませんが、この企画はそもそも田中友幸の発案なので、おそらくは田中友幸の回答でしょう。

■そこでは以下のような聞き取り内容が記されています。貴重な証言なのでそのまま紹介しましょう。

国連大使の加瀬俊一氏にもシナリオを見せて意見を聞いたのですが、その意見では、日本の政府はもう、完全に日本をアメリカ側の陣営の一員と考えており、万一第三次大戦ともなれば、アメリカと運命を共にする決心をしているから、いまさら、基地があるからソビエトにねらわれるのどうのという考え方は問題にならないと考えている、という返事を得た。だから映画「第三次大戦」でも基地問題は一切ふれないことにした

佐藤忠男は重大な課題である基地問題に触れないのはいかがなものかという問題意識で質問したわけです。そのことは当初の橋本忍版脚本ではちゃんとリアルに反映されていたが、版権がらみのイザコザで企画がリセットされて捨象された部分でもあります。佐藤忠男は、池田勇人はそんな決心をしたかもしれんが、国民はそんなこと決めてないぞ!と怒っています。(さすが)

■今日の感覚でこれを読むと、安保条約が改定された後の1961年当時、まだ日本はアメリカの核の傘には入っていないぞという認識(あるいは抵抗感)が市民の間にあったことを意外に感じるところです。今そんな認識を持つ人はいませんからね。でも米軍基地がなくて、自衛隊基地だけならば、敵の直接攻撃の対象にはならないのでは?とは感じるよね。甘いか。

■恒例の邪推を披露すると、この加瀬俊一のコメントは橋本忍対策として、橋本忍を納得させる材料として用意したのではないかという気がしますね。橋本忍はもともと沖縄基地を舞台に設定していたけど、そのままでは当然無理なので改定して欲しい。でも橋本忍を納得させるには、田中友幸だけでは力不足なので、有識者のコメントを材料として基地問題には触れないよう書き直せと迫ったのではないでしょうか。まあ、迫るというか、専門家がこう言ってますから、お願いしますよということでしょうが。

■今回は非常にストレートに政治的な話題でしたが、映画『世界大戦争』及びその成立経緯はきわめて政治的マターなので仕方ないですね。まあ、『世界大戦争』で「連邦国」と「同盟国」と言われたとたん、腰が引けてるね!と誰しも感じるところだから、批判されても仕方ないところだけど、今から考えるとそれでも十分に冒険的な企画だなあと感じます。こんな機微な内容が、よく成立したもんだと感心するのです。しかも東映ならまだしも、東宝ですからね。

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