正義の味方がホームレス?怪獣優生思想って、なに?もはや特撮ではない?いろいろ消化不良な『SSSS.DYNAZENON』

■『SSSS.GRIDMAN』の続編として2021年に放映された『SSSS.DYNAZENON』を一気に観ました。『SSSS.GRIDMAN』が意外に特撮的だし、ドラマとしても面白かったので。さて、ほぼ同じスタッフで製作された続編というか姉妹編の『SSSS.DYNAZENON』はどうだったのか。

■お話についてはあまり触れませんが、『SSSS.GRIDMAN』のあとの時代であり別世界。『SSSS.GRIDMAN』は新条アカネが作った世界だったので、同じ世界ではない。でも次元を超えてグリッドナイト同盟が中盤で参入する。これがあのアンチくんとアノシラス二代目?というところが燃えポイントだけど、最初は気が付きませんでした。(鈍すぎ…)

■前作と同様に高校生の日常生活に加えてニート不登校生徒まで加わって、いかにも近年ありがちな地元感の強い青春群像劇になっているのが特徴。そこにか彼らの過去の出来事が絡んでいて、第10話「思い残した記憶って、なに? 」に登場する悲観離合怪獣ガルニクスが、ガルマ隊メンバーを過去の記憶に閉じ込めようとする。このあたりのナイーブな展開はいかにもエヴァ以降という印象だが、怪獣の能力としてはユニークで悪くない。そもそも、長谷川圭一てね、昔ならおじいさんと言われる年代なんだけど、いまどきの女子高校生の日常会話書いてるの、凄いな。

■ただ本作については不完全燃焼な要素がもりだくさんで、正直なところカタルシスには至らなかった。そもそも5000年の眠りから蘇ったガルマ隊長が単なるヤンキーにしか見えないし、対する怪獣優生思想のメンバーもヤンキーチックだ。このあたりも地元感演出の一環なのか。なので、ガルマ隊も、世界を守るとか正義を守るのではなくて、地元を守る的なスケール感に見える。主人公のヨモギが行き倒れのガルマに大丈夫ですか?と声をかけるところから始まるのはさすがに長谷川圭一のセオリーだけど、ガルマ隊長ずっと橋の下でホームレス生活を送っているのも、なんとも凄いな。。。まあ「怪獣使い」は河原の掘っ立て小屋に住んでいるものというのが長谷川圭一のデフォルト発想だろうけど。

■怪獣優生思想って言われると、思想信条のことかと思うけど、そうじゃなくて「怪獣使い」の、いわば組織名として使われるのだけど、そこは語感として違和感が拭えない。そもそも怪獣優生思想とはどんな思想なのか、何を目指すのかというあたりも、仄めかしはされるけど、正面から議論されないのはさすがに気持ち悪い。というか、よくもこんな機微なタームを持ち込んだものだと感心したり呆れたりするところだけど、真面目に議論し始めるとそれこそ機微なことになるので、敢えて避けたのかもしれないな。あらゆる能力を持ちうる怪獣こそが真の自由の体現者であるということは最終回「託されたものって、なに?」で言及されるのだけど、その要素はもっと強く押し出して欲しいところだ。怪獣についてのユニークな新解釈だから。

■ただ、本作は「特撮アニメ」あるいは「アニメ特撮」というよりも、普通のロボットアニメの作風に近くて、『SSSS.GRIDMAN』の疑似特撮的なビジュアルの面白さには劣る印象だ。5000年前の王国と怪獣使いの処刑というお話も中途半端に出されても夾雑物にしか思えないし、ガルマ隊長も姫との再会を期しながら探す様子もないし、いろいろ中途半端に気になって完全燃焼しない。『電光超人グリッドマン』のエピソード由来の設定らしいけど、要らないと思います。諸々、もっとスッキリ整理してほしかったなあ。このあたりの不全感は映画『グリッドマンユニバース』で解消するのだろうか?

参考

ちなみに、映画『グリッドマンユニバース』についてはこんな記事があります。
hitocinema.mainichi.jp
maricozy.hatenablog.jp

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