誰か聞いてよ、オレの心のダイアリー!『硫黄島』

基本情報

硫黄島 ★★★
1959 スコープサイズ(モノクロ) 88分 @アマプラ
企画:大塚和 原作:菊村到 脚本:八住利雄 撮影:井上莞 照明:安藤真之助 美術:木村威夫 音楽:斎藤一郎 監督:宇野重吉

感想

■原作は菊村到の、なんと芥川賞受賞作なので、本来なら芸術祭参加の大作映画となるべきところだが、宇野重吉が自分で監督したいという強い意向があったのだろうか、日活本体ではなく民芸映画社で制作された異色作。いわゆる戦記映画ではなく、大規模な戦闘シーンはないので、当時ポスターを観て劇場に足を運んだ観客は肩透かしだったかもしれない。基本的に舞台的ともいえる地味な科白劇なのだ。

■舞台は昭和26年。終戦後、硫黄島で米軍に補足されるまで隠れ住んでいた元兵士の片桐(大坂志郎)が米軍の協力で硫黄島に残した日記を回収に行くことになったと新聞記者(小高雄二)に明かすが、その後硫黄島で摺鉢山から墜落死したと報道される。男は遺書にも見える手紙を記者に残していた。男は何故死んだのか、終戦直後の硫黄島で何があったのか?

■新聞記者は男の死の真相を探るため、元戦友の佐野浅夫、恋人だった芦川いづみ、工場の同僚だった山田勝(星野源かと思った)、下宿のおばさん(渡辺美佐子)らを訪ねて男の心の動きを知ろうとする。その証言に沿って、映画は回想シーンを挟み込む。まるで橋本忍の脚本のようだが、大ベテラン八住利雄の筆。

狂言回しの新聞記者が小高雄二というのも低予算映画ゆえで、露骨に演技の下手な人なので、配役は日活側からの要請だったのだろう。宇野重吉に演技を仕込んでほしいというね。そのかいあってか、本作は案外悪くない。もともと地味な素材をますます陰鬱にしてしまうけど。

■実質主演は大坂志郎で、この人もなかなか曲者で色んな役を演じ分ける巧妙い人だけど、主演の華には欠けるなあ。硫黄島での相方が佐野浅夫で、こちらも硬軟演じ分ける性格俳優で、むしろこちらのほうが儲け役かもしれない。戦地での出来事は綺麗サッパリ忘れ去って、戦後の民主主義の世界を生き抜こうとする一般国民代表で、精彩がある。大坂志郎は延々と暗い表情で思いつめたような演技しか見せられないから可愛そうですね。損な役回り。

硫黄島で死んだ負傷兵岡田一水は、片桐が殺したのではなかったのか。仮にそうであっても誰も責めやしない、オレだってやったかもしれないからだ。佐野浅夫はそう放言する。片桐は狭い下宿で芦川いづみから迫られるのに身を引くしか無い。良心の呵責に苦しみ続けて贖罪のために硫黄島での自死を選んだのではないか。そう訴えかける。戦後六年、誰しも戦争の記憶は積極的に封印して日常生活に没頭している時代。傷痍軍人が街のなかで目についた時代。だが、忘れたい過去に引き戻されそうな気がして、誰もが気まずそうに目を背ける時代。

■ただ映画としていささか弱いのは、片桐の死の原因、硫黄島で起こったであろう非人間的な行為が、想像を超えるものではないことだ。既に『野火』でカニバリズムまで描いてしまったあとなのだ。と思ったら、市川崑の『野火』が1959年11月の公開、本作は同年10月の公開じゃないか。完全に当て逃げ企画だね。人喰い映画『野火』の後だとインパクトがないから、先に出してしまえという日活の叫びが聞こえる。『野火』も大概地味で陰気な映画だが、大映の大作であり、予算規模的には太刀打ちできないからね。宇野重吉も、なかなか商売人だなあ。

■本作は民芸映画社の制作で、木村威夫らのメインスタッフの何人かは日活からの出向として参加した。日活撮影所の恵まれた条件と比べて、独立プロの仕事のあり方がいかにキツイものであるかを感銘を持って経験したと、後年木村威夫は述べている。当然、日活撮影所は使用できず、独立系の貸しスタジオ等を使用して撮影されたはずだ。日活製作と比べると記者部屋のセットの質感とか、陰影の薄さとか、照明設計の単調さとかいったところにルックの差は歴然だが、画面の奥に夜の海の波のキラメキをスクリーンプロセスで(?)合成したカットが秀逸で、基本的に特撮は使わない民芸映画社なので、一点豪華主義というところだろうか。

■場末の居酒屋の奥の席で、一人酔いつぶれなければやりきれない人生の辛い経験はだれしもあり、それは戦場の極限状態だけでなく、人それぞれにあるよね、というところに普遍性を見出したおじさん映画という気もする。だって、そんな構成なんだもの。
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