ロスト・バケーション ★★★

出典:https://eiga.com/movie/84802/gallery/

THE SHALLOWS
2016 スコープサイズ 86分
MOVIX京都

コレット=セラがなんで今更サメ映画を撮るのか意味がわからない企画で、しかも異様に小品。しかし、CF出身らしい秀麗な映像にはお金がかかってるから、小品にしては大作に見える。ロケ撮影が単純に綺麗で夏映画にはピッタリだが、実はステージ撮影も多数実施されており、少々CG使いすぎの気がある。

■お話は母親が病気で死んで、人生に疑問を感じながら一人で考えたくてやってきた思い出の渚でサメに襲われて沖の岩場に孤立したヒロインが生還できるかどうかというもので、まあ大したお話ではないし、コレット=セラのサスペンス演出の腕の見せ所も案外少ない。サバイバル描写がひとつの売りであるが、実はサスペンスよりも活劇として観る方が正しい。実際、これまでもコレット=セラの映画は全てクライマックスは活劇として昇華しているし、実は本作も立派なアクション映画。最後の最後にはアクション映画のカタルシスが待っている。そこは絶対外さないコレット=セラ演出は今回も快調だ。

■脚本は単純すぎるのだが、一応、ヒロインの死と再生の物語として構成されていて、あの入り江は母親の子宮の象徴だ。そこに閉じ込められて、命がけで危険だらけの外界に脱出することができるのかという筋立てになっている。妊婦の姿に似た島影や巨大なクジラの屍骸などの道具立ても、死んだ母親の胎内であることのイメージを喚起する。そして、海面を平行移動することでサメの脅威から脱出しようとするヒロインが最後にたどり着く解決策によって移動軸が転調する部分がこの映画の肝で、脚本は単純だけど、意味づけはちゃんと考えてありますよという作家の良心が感じられる。

■ヒロインのブレイク・ライヴリーはスタイル抜群の女の子で、ほぼ半裸の状態でずっと登場するのは眼福だが・・・色気が無いなあ。しかし、活劇のヒロインとしては合格で、小気味良い大活躍。

追記(2019.11.22)

■再見したので追記しておく。病(たぶんガン)と闘い死んだ母親は病に敗北したのだとの思いを抱いたまま、もういちど母親を求めて想い出の渚にやってきたヒロインは、何気なく現れたサメのためにサバイバルを余儀なくされる。

■サメに食いちぎられたクジラの遺骸は、病に身体を蝕まれた母親の象徴であり、クジラを倒した後に自分に攻撃してくるサメは、病(たぶんガン)の象徴である。そして鯨と同様にサメの歯形が太ももに刻まれる。サメが当たり前のようにさらっと登場するのは、特別な怪物ではなく、ありふれた死病の象徴として描かれているためである。

■だからこの映画は、若くしてガンが発見され、わたしもお母さんとおなじようにガンで死ななきゃらならないの?と現実を受け入れられず怯えるヒロインが、歯を食いしばって病と闘って、とりあえずがんを寛解するまでの物語なのだ。その心理ドラマを外部に具現化したらサメ映画になったという、そういう発想の映画である。

■ただ、ドラマとしておかしいのは、ヒロインが最初からサバイバル耐性が異様に高いことで、あきらめていったん死の運命を受け入れるところからサバイバル精神に目覚めて運命と闘うことを選択するという筋道をたどるのが普通の作劇ではドラマの胆なんだけど、なぜかそうした溜めがないので、ドラマとしては弱い。想像するに、初期脚本段階では回想シーンとして母親との関係や心理描写などを描きこんでいたが、監督のコレット=セラが回想で説明するのはスマートじゃないよねと切ってしまったのではないか。なんせ、実質的に80分しかないのだ。きっと何かあったに違いない。

■あの湾内は母親の胎内であり、自分自身の生体の内部を象徴している。クライマックスは鉄の鎖に導かれてフリーダイブしたヒロインが海底のトラップにサメを導く。これはガン細胞に対する免疫機能を思わせる。若い彼女の身体の奥底には強靭な免疫機能が眠っている。だからまだ病には挫けない。私は、まだまだ戦える。私の身体の深奥には運命と戦える武器が眠っている。

■このようにサメという死病の象徴からのサバイバルを通じて自己確認と自己肯定を行う物語なのだ。寛解したとはいえ、いずれまた死病は戻ってくるかもしれないけど...それは今じゃない!そういう映画ですね。ただ、作劇としては今一つだけどね。

参考

あんたも死ぬし俺も死ぬ 皆いつかは死ぬ… だが今日じゃない !傑作『バトルシップ』だ!
maricozy.hatenablog.jp

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