シン・ゴジラ
2016 スコープサイズ 119分
Tジョイ京都
脚本■庵野秀明
撮影■山田康介 照明■川邊隆之
美術■林田裕至、佐久嶋依里 音楽■鷺巣詩郎
准監督・特技総括■尾上克郎 監督・特技監督■樋口真嗣
総監督■庵野秀明
■全世界注目の日本版ゴジラ映画の復活作は、ヲタクの作家性に全てを賭けた博打作だった。いまさら怪獣映画なんてよほどのことがない限り日本では興行が難しいという状況下で東宝がゴジラ復活のために頼ったのはエヴァンゲリオンに便乗することだった!?実際のところ、映画は予想以上にエヴァであり、エヴァ好きの皆さん、サービス満点ですよ!というオモテナシ作なのだった。それが良いという人も多いだろうし、エヴァに思い入れの無い観客は、そこまでやるかと呆れることも事実。
■ただ、それを中途半端にやらなかったのはこのところの世代交代を果たした東宝の思い切りの良さで、初代ゴジラさえなかったことにされて、まっさらな状態で出現したゴジラへの政府内の対応だけに焦点を絞って、ディスカッションドラマとして構築するというマニアックな脚本をそのまま活かしている。本来ならプロデューサーから各種の注文がつくところだが、庵野秀明だからこそ、そうした雑音が無く、初心を貫徹することができたわけけだ。そして単独脚本は陥穽に嵌ることもありがちだが、今回は共同脚本の必要性が感じられないほどの堅牢な構築になっている。それを岡本喜八をお手本として細かいカットと膨大な台詞を畳み掛けて見せる。その演出力も意外と立派。ただ、ドラマとして面白いかというと、オーソドックスな作劇の面白さやサスペンスには乏しい。
■庵野作品の常として、細部には過去作からの引用や発展が多く観られ、特に84ゴジラに対する複雑な思いが垣間見られる。期待したあの復活ゴジラでダメだったところ、俺ならこうするのにという当時の若者たちの妄想によって、本作のほとんどは成り立っている。という意味で、お話や様々なディテールについても、意外なほど新味は無くて、おなじみのアレばかりともいえる。ゴジラシリーズのお馴染みにエヴァのお馴染みをブレンドして、みんなの大好きなものばかり集めてみましたという作りにもなっていて、実験的な部分とサービス精神が混在している。しかし、だからといってエヴァの曲や伊福部節を継ぎ接ぎするのは安易であろう。むしろ演出上の拘りかもしれないが、これをやるとどうしても自主映画臭くなってしまい、白ける。まあ、超大作自主映画というのがこの映画のパッケージであろうからそれもまた上手な商売ではあるのだろうが、音楽面でももっと新しいことを確立して欲しかったというのが正直なところだ。少なくとも平成ミレニアムシリーズは大島ミチルが新しいゴジラテーマを確立したわけだから。
■そして、見所の特撮演出はというと、まず驚くのがゴジラが動かないこと。まあ動かないよ。序盤のアレが例外で、アレはよく動くし、発想も演出も非常に斬新であり、ディテール豊富な特撮演出も出色で、どこまでがCGでどこがミニチュアなのか見分けがつかない。この部分は日本映画の特撮演出が一歩前に踏み出した実感が感じられる。しかし、最終形態に近づくにつれ、動かないし、そもそも登場場面が非常に少ない。ドラマが延々と続き、ゴジラはその間、ずっと活動停止中。しかもほとんどが空撮にCGのゴジラをはめ込んだカットばかりで、意外と単調。クライマックスの見せ場はさすがに力が入っていて、都市破壊のディテールをきっちり見せるが、まあこの手はアメリカ映画が最近のCG映画でもっと凄い絵を見せているからなあ。思わず体が前のめりになるのは、伊福部マーチと東宝効果集団の爆破音によるところが大で、でもそれじゃだめでしょうというのが正直な感想。楽しくないわけはないけど、なんでそこで後退するの?という残念感が残る。
■しかも、やたらとこの国を礼賛する台詞が頻発し、口が滑って「絆」とか言い出さないかと冷や冷やしたよ。どこに真意があるのか、ただのリップサービスなのか、薄ら寒い感触が残るのも事実。ゴジラ映画におけるゴジラ憲法改正的なインパクトを持った映画であることも事実で、様々な議論を呼ぶポテンシャルを持っていることは良いことだと思う。それだけの熱量は保有している。日本特撮映画史をはみ出す大問題作。