感想(旧ブログから転載)
父親を結核で亡くし、母親(乙羽信子)とともに親戚を頼って上京してきた少年(大沢健三郎)は母親が住み込みで働く旅館の一人娘(一木双葉)と知り合い、夏休みの昆虫採集の宿題にカブトムシをプレゼントすることを約束するが、母親は客(加藤大介)と駆け落ちし、旅館も売りに出されて、少女は行方を絶ってしまう。
成瀬巳喜男が自分自身でプロデュースして、たった78分にまとめ上げた児童映画の小品佳作。「秋立ちぬ」というタイトルが児童映画らしからぬ、むしろメロドラマ的な印象を与えてしまうせいで損をしていると思うが、これはジャンルとしてはれっきとした児童映画であろう。成瀬巳喜男の会心作とまでは言えないものの、十分にこのジャンルにおける水準を軽く超えている。いや、一種の「珠玉の名品」とすら言えるのではないかと徐々に思われてくるところが、成瀬映画の魔力というものだ。
メロドラマの名匠が何を思って児童映画に手を染めたのか実に興味深いものがあるが、ロケ嫌いなはずの成瀬がここでは積極的に街頭に出て、デパートのシーンなども東宝撮影所ならではの贅沢なセットを組まずに敢えてロケーションするという新機軸を見せる。クライマックスに用意された晴海埠頭での少年と少女の幼すぎる道行きのシーンなども、昭和35年の生の東京の姿を成瀬的な抒情性で捉えて、類型的な場面設定ではあるものの、主人公の少年がデパートの屋上で遥か向こうに見える海を見つめる胸を締めつけられられるようなラストシーンともども、決して忘れられない痛みを伴って観るものに迫るだろう。
特に、笠原良三の語り口が軽妙で、いかにも東宝映画らしい朗らかさが満ちあふれているせいで、ラストの少年を包み込む”やるせなさ”は児童映画の範疇を超えてまさに成瀬映画そのものだ。しかし、旅館の小母さん菅井きんに吹き込まれて、その意味も知らずに「中年女って、男に狂うと子供のことなんて忘れてしまうんだって」と宣う少女がおかしくも哀れ。
藤原釜足、賀原夏子、夏木陽介、原知佐子(!)、藤間紫、菅井きん、河津清三郎という豪華(?)キャストで、こうした小品佳作を産み出す当時の東宝にはまだまだ余力が残っていたということか。
ちなみに、後年東宝で森谷司郎が撮った青春映画のテイストに近いように感じるてしまうのは何故だろうか?やはり、東宝映画の社風というものか?