『イーストサイド・ワルツ 悦楽の園』

基本情報

イーストサイド・ワルツ 悦楽の園
原作・小林信彦 脚本・荒井晴彦
撮影・高瀬比呂志 照明・高柳清一
美術・菊川芳江 音楽・淡海悟郎
監督・武田一成

感想(旧HPより転載)

 山の手に住む初老の小説家(石橋蓮司)は講演を依頼してきた下町育ちの娘(大竹一重)にかつての恋人の面影を認め、愛し合うようになるが、その頃から無言電話やストーカーめいた中年の男の影が付きまとわり、彼女の過去に疑惑を抱くようになる。彼女の存在を隣家に住む叔母(南美江)に知られたこともきっかけとなって正式に結婚するが、彼女が「館」という風俗店に勤めていたことを知り、さらに彼女の口から意外な告白を受ける。

 隅田川を挟んで、同じ東京でありながら気質の異なるの山の手と下町の男女の間に成就した謎めいた恋の行方とその破綻をゆったりとしたリズムで抒情的に描いた大人のための性的メルヘンで、隅田川付近を巡る散策シーンは東京観光映画の趣もある。しかも、それは現在の東京だけでなく、江戸と呼ばれていた頃の下町情緒をも視野に含んでおり、深川江戸記念館の中に実物大で再現された江戸の長屋を生かしたロケーションが、東京という街とそこに棲む人々の変遷を立体的に浮かび上がらせて、おそらく原作どおりの設定なのだろうが、秀逸なシーンとなっている。

 もちろん、何度か映画化されている永井荷風の「墨東綺譚」が下敷きとなっているのだろうが、この物語のヒロインにもお雪にも通じる謎めいた雰囲気と存在の儚さがあり、そこに何故か新内節など口ずさんでしまう江戸情緒までが加味されて、端的に言ってしまえば老人の思い描く画に描いたような夢の女が造形されているのだが、大竹一重にはそうした男の妄想を一身に引き受けてにび色に輝く資質があり、自ら発する光で輝くのではなく、男たちの想いを受け止めてしっとりと投げ返し、しかも見るものを狂わせるという月の光のような存在感がある。男が安らぎを求める女、典型的な日陰の女の演じ手なのである。

 しかし、物語のラストはあまりにストレートに古典的に過ぎ、説得力に欠ける。同じ脚本家でも「F.ヘルス嬢物語」のほうが遥かに出来が良いのは、荒井晴彦にとって女とは決して儚い存在などではないということを示しているのだろう。

 主人公石橋蓮司の昔の恋人役で宮下順子が出演し、同じ脚本家による「赤い髪の女」の主演コンビが再会するという粋な趣向も効いている。そもそも、大竹一重が出演しているとはいえ、石橋蓮司の主演作をわざわざ観ようなどという客がにっかつロマンポルノの洗礼を受けていないはずがないのだから。

 さらに主人公の友人役でサワイ総監(byティガ)こと川地民夫が出演し、産婦人科医役で草薙幸二郎(最近あまり見かけない)が共演して、さながら日活(にっかつ)映画の同窓会の様相を呈する。


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