感想
■前回の大阪万博の年、大映末期のジリ貧の中で企画された異色作。ガメラ組と大魔神組が組んで、大映京都で製作するという、ドリームマッチだけど、なにしろカネがないので、ほぼロケ撮影。実話を元に製作されたと明言しているけど、今のところどんな事件だったのかは不明。日本版“母をたずねて三千里”と謳われてます。たしかにね。
■高知の農村に住む五才の幼稚園児(岡本健)が、出稼ぎで大阪にいる父親(宇津井健)に会うために、ひとりで旅立つというお話で、工夫のひとつは、三回も失敗して、四度目にやっと脱出に成功するという下り。角のタバコ屋に世話焼きのミヤコ蝶々が住んでいて、その関所を越えるのが大事なのだ。行方不明になるとすぐに村内にお触れがまわって、大人たちの、目が光っている。自由への桎梏でもあるけど、共同体のセーフティネットでもある。いまどき喪われた美風ですね。
■さらに、少年は二年前に父親と大阪に行ったことがあり、そのときに各地の目印をお絵かきしていて、そのスケッチブックを辿れば、大阪に至るという確信がある。このあたりの作劇の工夫はさすがに職人の仕事。まったく同時期に、山田洋次が『家族』という映画を撮っていて、これはスタインベックの『怒りの葡萄』の翻案(明記されていないけど)だけど、本作と趣向が似ている。しかも、ほぼ同じ時期というのが不思議だなあ。万博に浮かれる世情のなかで感じる違和感が、映画人にそうさせたのか?だって、映画界は、致命的な斜陽産業だったから。
■湯浅憲明は、確か、子役とか、未熟な役者には、ワンカット、ワンアクションで演じさせると言っていて、本作のそのとおりに撮っている。そもそもガメラの特撮が、ワンカット・ワンアクションの積み重ねで技巧的に撮られているから、無生物だってそう撮れば映画の演技が成り立つのだから、子役だって同じメソッドで大丈夫という計算があったはず。だって、リアル五才の子役に演技はできないからね。
■なにしろ撮影は森田富士郎なので、ロケ撮影メインだけど立派なもので、基本的にガッチリ組んだ安定感のある構図だけど、かなりリアルで、そんなに凝った画作りはないけど、終盤の大阪で「PEPSI」の巨大看板とか安アパートのステージ撮影など、まあさすがの趣向だし、見事な様式化。安アパートの荒み方は完全に『ある殺し屋』ですな。
■ナレーションを積極的に使うのも子役でドラマを成立させるための工夫で、なにしろ高橋二三は、ガメラでは積極的にナレーションを使って、ガメラの心理まで前のめりで説明する手法で、玄人筋をあっと言わせた(しらんけど)人なので、もはや芸ですね、芸。
■実際のところ主演の子役は演技できないし、演技づけもかなり漫画的なので、あまり褒められないのだけど、映画としては意外にも気持ちのいい映画で、最終的にどこに着地するのかといえば、父親と再会して、子どもを追って大阪に向かったけど迷子になった祖父母(左卜全と北林谷栄!)を迎えに行こう!という展開で、少なくとも、少年は老夫婦よりはしっかりしていた、それだけ成長していたよと示して終わる。その着地点の、ささやかなドラマ性が好ましい。
■おまけに、同年には野村芳太郎の傑作『影の車』も公開されていて、前年には大島渚の『少年』が出ているし、高度経済成長の頂点だったこの頃、「少年」が邦画界の流行テーマだったのか?なんだろう?興味深い現象だなあ。
