■久しぶりに見直すと、なかなか興味深い映画だった。山崎貴も『ゴジラ-1.0』で「敗戦後の日本」「永遠に続く戦後」についての見解をゴジラという素材に託して吐露していたけど、それは本作への返歌ともいえる。山崎貴は、もう一度戦争をして今度こそ勝つ(代わりにゴジラという脅威を撃退する)ことで、日本人は敗戦後体制を脱して、真の再生を果たす(誇りを取り戻す)というお話を語ったけど、本作は、敗戦後、米国に隷属する日本の再生を、ゴジラを契機とするスクラップ&ビルドで成し遂げようと夢想する。(その意味では『妖星ゴラス』の影響は大だと思うけど、ゴラスのほうが思想的にも気宇壮大だった。)
■その際に、中心となるのは、ゴジラのおかげで旧世代の軛を脱した新しい世代の政治家(とその戦後のしがらみから自由な指導力)だし、彼が巧みに使役するオタクたち(官僚や学者)だ。様々な柵や既得権益に縛られた旧世代が丸ごと死滅し、若い世代に世代交代すれば、日本は米国とも対応に渡り合える真の独立国に生まれ変わることができると、庵野秀明は夢見る。アメリカ映画では、大きな危機が起こったときに、それまで変わり者として社会的に差別されてきた者が思わぬアイディアと行動力で、危機を打開して社会を救うという寓話がよく語られるのだけど、そのスキームを援用している(『バグズ・ライフ』とか)。日本の強みは、「オタク」と「現場」にある、というのが庵野秀明の見立てだし、ヲタクアニメ監督としての偽らざる自己言及だし、端的に言って自慢だろう。
■石原さとみが演じる日系三世も実はドラマ的には大きなポイントで、祖母が日本(ヒロシマ?ナガサキ?)で被爆していることを誠実に受け止めていて(ホンマかいな?)、米国と国連軍はゴジラへの熱核攻撃を決定したのに、突如愛国心(?)に目覚めて、長谷川博己らに協力を申し出る。本来なら、将来の米国大統領候補(!)というサラブレッドなのに。まあ、あまりに漫画的なキャラクターなので説得力がないし、土壇場での変心を描くにしても、ドラマの粒立ちが不十分なので、せっかくの泣かせる見せ場なのに十分に機能していないのだけど、実はここは本作の重要な肝(の一つ)でしたね。
■特撮の見せ場としても、途中までは敢えてかなり中途半端な(抑制的な)見せ方で、クライマックスで一気に高層ビル大破壊の精緻なスペクタクルに転じる構成は見事なもので、『ゴジラ-1.0』の後に見ても、全く遜色ない。『シン・ウルトラマン』『シン・仮面ライダー』は敢えてもう一度見たいと思わないけど、これは何度見ても楽しめるなあ。

