基本情報
復讐するは我にあり ★★★☆
1979 ヴィスタサイズ 140分 @アマゾンプライム・ビデオ
原作:佐木隆三 脚本:馬場当、池端俊策 撮影:姫田真左久 照明:岩木保夫 美術:佐谷晃能 音楽:池辺晋一郎 監督:今村昌平
感想
■いまさらながら、やっと観ました。今村昌平の代表作で、韓国映画にも多大な影響を与えた連続殺人鬼映画の力作。シナリオの初稿を池端俊策が書いていたのも初めて知った。池端俊策も当時はバリバリに先鋭的だった頃だね。
■有名な西口彰事件を、逮捕直前に投宿していた浜松の簡易宿泊所での出来事を中心として描いた映画で、実は浜松事件のその後、教誨師宅に泊まってその娘に正体を見破られるエピソードは、後日テレビでドラマ化されていて、そちらもかなり上出来だった。
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■人を殺すことに抵抗感がなく、大した理由もなく人を殺す男が事実キリスト教徒だったことから、敬虔なクリスチャンである父親の中に巣食う「偽善」に対する反抗であるという解釈になっている。
■戦後の混乱期に疎開先で殺人事件を起こした清川虹子が、後悔はあるけどほんとに殺したい人間だったから殺したときはスカッとしたもんだと述懐する場面がきっかけとなって、主人公の混沌とした殺意の本来あるべき姿が浮かび上がる。最後に三國連太郎との父子対決があって、本当に殺したかったのは父親だったと主人公が悟る仕掛けになっている。つまり、神殺しのテーマが明確に打ち出される。このあたりがキリスト教信仰の影響が強い韓国で大きなインパクトを与えることに繋がったのだろう。三國連太郎は義理の娘の肉の誘惑に対して、当然乗っかっていきたい本能的な欲情を信仰の力で押し留めているが、それは人間らしくない「偽善」だというのが主人公の暗にする主張で、つまり神に対する反逆なのだ。そこに太平洋戦争の記憶も絡んできて、全「国民の父」であり、現人神であった天皇に対する、少国民だった今平の当てこすりが見え隠れすることになる。
■それにしても、登場人物が皆罰当たりというのが、今村昌平の「ウジ虫」のような人間を描くという意思の発露で、逢ったときから義父に色目を使う倍賞美津子の肉体の因果な狂気。母親の前で囲い者の小川真由美を組み敷く北村和夫の因果。そして人間を殺すことに何の躊躇もないサイコパスな主人公。
■でもやっぱり残念なのは70年代後半、80年代間近のカラー映画であることで、個人的にはモノクロで撮った欲しかったと心から思う。姫田真佐久のカラー撮影としてはむしろ3年後の東映映画『誘拐報道』のほうが望遠撮影の秀逸さも含めて印象深いなあ。