十三人の刺客 ★★★

十三人の刺客
2010 スコープサイズ 141分
イオンシネマ久御山
原作■池宮彰一郎 脚本■天顔大介
撮影■北信康 照明■渡部嘉
美術■林田裕至 音楽■遠藤浩二
CGIプロデューサー■坂美佐子 CGIディレクター■太田垣香織
監督■三池崇史

工藤栄一の「十三人の刺客」のかなり忠実なリメイクだが、そもそもオリジナル映画自体がそれほどの傑作とは思えない。時代劇映画の歴史上はエポックであった映画だろうが、公開当時の衝撃は、後の時代に観た場合、あまり感じられず、特にクライマックスの乱戦場面は、工藤栄一の演出の特性もあって、正直言って冗長である。オリジナル版では時代劇オールスターの豪華感と伊福部昭の荘重な楽曲で魅力を保っている感がある。集団抗争時代劇としては後の「大殺陣」の方が傑出している。

■では、本作はどうか。クライマックスの大乱闘シーンは、お得意のVFXも利用しながら、スペクタクルとしてはなかなか面白くできており、オリジナルを超える趣向が盛り込まれている。チャンバラの見せ方が上手いかといえば、正直不満が多いのだが、特に伊原剛志の殺陣の見せ場は、秀逸なアイディアで、本作の白眉といえる。しかし、ドラマとしてはオリジナル程の緊迫感とサスペンスが感じられず、端的に言ってドラマが薄い。台詞ばかりが大仰で、台詞や人物がぶつかり合う、ドラマ的な緊迫感と高揚感が感じられない。

■本作では敵役のバカ殿様の造形に三池タッチを大幅に盛り込んでおり、狂人ぶりと残酷さを強調しているところがミソであるが、それが封建制なるもの、体制なるものに対する批判として機能しているかといえば、疑問である。冒頭近くに置かれた手足を切り落とされて捨てられた女をストレートに、というか見世物的に見せる場面のえげつなさも三池ならではのタッチで、実際その場面はすさまじく、明るく楽しい東宝映画には似つかわしくない超残酷時代劇タッチである。ただ、その他の残虐場面は基本的に間接描写とされており、東宝に対する義理(?)を果たしている。まあ、端的に言って三池流悪趣味時代劇ですよ。

■今回の新キャラクターが”山の民”なのだが、この描写も三角寛山窩小説に描かれた俗流サンカのイメージ(何十年前の話だ?)をそのまま導入したようなふざけたキャラクターで、三池タッチの下品なギャグもあり、非常に不謹慎である。”山の民”に対する偏見を広めてしまう恐れがあるのだが、中島貞夫が「瀬降り物語」を撮る際に人権団体とあれだけ揉めたことを考えると、隔世の感がある。まあ、サンカの存在自体が消滅してしまった現在、抗議を言い立てる主体が存在しないのでフィクションの中でどう描こうと勝手ではあるのだが、もう少し真面目に考えた方がいいのではないか。映画の中では完全に超現実的な存在として、三池的な不思議なギャグとして描かれているから、リアリティを云々するのは筋違いではあるのだが。

■この映画で一番の見どころは、冒頭付近に置かれた夜の場面の撮影と照明で、これは大映京都タッチの新展開ともいえる凄いルックを作っている。陰影の深さと、行燈の炎の揺らぎを生かした明滅する感じは、時代劇映画でもなかなかお目にかかれない意欲的な絵作りで、ほとんど怪談映画のようだ。しかし、後半はナイトシーン(室内)が無くなるため、普通の彩度を抑えたDIタッチになってしまうし、アクション場面になると、撮影のタッチよりも、キャメラワークの機動性の方が重要になるから、撮影の腕の見せ所は減ってしまう。

■チャンバラの楽しみをこれだけ売った映画も近頃珍しく、しかもかなりヒットしているんは時代劇好きとしては非常に喜ばしいのだが、チャンバラ映画の粋をきちんと見せたのは、むしろ平山秀幸の「必死剣鳥刺し」のほうだった気がする。そもそも、三池はドラマをちゃんとやろうとする気が最初から無いからね。映像作りはこちらの方が凄いのだが。

■製作はテレビ朝日、セディックインターナショナル、電通ほか、制作はセディックインターナショナル。セット撮影は東映京都撮影所を使用しているようだ。

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