『ガス人間第一号』

基本情報

ガス人間第一号
1960/スコープサイズ
(98/8/14 京都みなみ会館)
脚本・木村 武
撮影・小泉 一 照明・高島利雄
美術・清水喜代志 音楽・宮内国郎
特技監督円谷英二
監督・本多猪四郎

感想(旧HPより転載)

 ニュープリントで見ると「美女と液体人間」からの色彩の発色の改善が明白で、当時の東宝映画だからイーストマンカラーだと思うのだが、次に上映された「妖星ゴラス」と併せて見れは色彩映画の発達過程が一目瞭然となる粋な趣向だ。

 木村武の脚本はガス人間・水野(土屋嘉男)と日本舞踊の家元・藤千代(八千草薫)の恋の経緯を完全に省略してしまった点に、この映画の戦略がある。
 ガス人間誕生の顛末はしっかり回想で描かれるのに対して、水野と藤千代の出逢いから恋に至るプロセスが一切明かされず、それどころか一連の事件の発端であるはずの家元衰退の原因についても、わざわざ新聞記者・佐多契子がその原因を探るよう新聞社に電話するシーンまで設定してあるにもかかわらず、謎のままなのだ。

 特殊ガスの誘爆によりガス人間を抹殺するために新作舞踊の発表会場に設置された発火装置が破壊され、失敗したかと思われた会場爆破が一転成功した(藤千代が自らを犠牲にしてライターで着火したのだが)ことに対して、科学者役の伊藤久哉が「どうして爆発したたか私にも判らないんです」と呟くことでも明らかなように、作者は明白な意図を持って、謎を謎のまま提示しようとしている。

 しかも、藤千代のほうに水野に対する本心からの愛情があるのか、単にパトロンとしか考えていないのか、あるいは自分の感情はさておき、愛されているという現実に報いたいという願いだけは存在するのか、という疑問についても、明白な解答は用意されず宙吊りのままだ。おかげで、この禁断の恋の顛末にはサスペンスが溢れている。

 また、三橋達也の刑事と佐多契子の新聞記者のカップルが、ガス人間と藤千代の二人と対置され、初めは藤千代に対して嫉妬する新聞記者が仕事上の立場を離れて次第に藤千代の境遇に心を寄せてゆくというエピソードも用意されており、ラストの悲劇性を引き立てる重要なキャラクターとして設定されているのだが、佐多契子のそうした変化を際だたせるには、もう少し尺数が欲しいところだ。こうした映画こそ、100分使って語るに相応しいのだ。

 人体実験の失敗でガス人間に生まれ変わってしまったことを知り絶望しかけていた土屋嘉男が、それでも生きていることを噛みしめて、「しめた、生きてるぞ!」と歓喜する雨の夜のシーンに対して、如何なる境遇にあってもあくまでも生き抜くことに執着し続けながら、愛する者に罪の償いを迫られる悲痛なラスト、変わり果てた姿でそれでも発表会場の外に這い出そうともがくガス人間に激しく降りかかる夜の雨を呼応させるよう、消防車による放水作業を用意した入念な演出がこの傑作を決定付けている。

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