■もともと社会主義者(議会制の中での社会主義革命?)だったけど、国家社会主義(天皇親政による社会主義統制国家)に転じた。その基本には、進化論とプラトンと孟子(と法華経)が思想のベースにあり、「人類」は将来的に「神類」に進化するから、国家もそのとき個は消滅して、「神類」全体として理想国家(哲人政治みたいな?)に近づくと考える。ダーウィニズムの影響が大きいところは当時の流行に乗ったようにも、空想的に見えるし、SF的ともいえる。
■しかも、衆愚観があり、基本的に一般民衆は信頼していない。しかも、天皇への信仰もない。建前は天皇を掲げているけど、本当は自分がなるべきだと考えていて、本音では、なくていいと思っている。これが中国なら自分が軍隊動かして天子になるのになあ、残念ーそんな易姓革命的な気持ちが本音。あくまで、自分が日本の国家の中心になるべきという思想なのだ。ということらしい。でも、当然そんなこと露骨には言えないので、建前と本音を大胆に使い分ける。
■さらに、「国家有機体説」どころか、国家は比喩でなく、ストレートに「生命体」だと捉える。そこから進化論に接続する。さすがに、自由だなあ。科学主義を取り入れる姿勢は悪くないと思うけど、さすがに発想が飛躍してる。
■吉田喜重の『戒厳令』では、北一輝は死刑執行の直前に、天皇陛下万歳というのか?と聞かれ「 私は死ぬ前に冗談を言わないようにしている」と応えるのが名台詞なんだけど、まさにそれが本音。『戒厳令』は以前に観ているけど、もう一度観たいなあ。でも、同様の台詞は西田税の発言とも言われ、それを援用したのかも。
■その他、北一輝に関する事項ではないけど、明治政府が農村の窮乏化対策のかわりに行ったのが、教育勅語などの国民道徳論による秩序の安定化であったとか。今も復古派の右派が狙っているのは、結局そこなんだな、だから教育勅語にこだわるのだなと。さらに、国民を組織化するためには「法律上の権利義務関係」だけではなく、「道徳上の権利義務関係」が必要とされ、そうすると愛国心がないというだけで、義務違反で批難されることになるという井上哲太郎の分析(?)も興味深い。復古派の右派は、現実路線を標榜しながら、その実はそんな昔の悪夢に現実逃避しようとしているのだな。


