宝塚宙組公演『風と共に去りぬ』

■脚本・演出:植田紳爾、演出:谷正純、作曲・編曲:入江薫、吉田優子、河崎恒夫、寺田瀧雄、作曲:都倉俊一

■本作は宝塚の定番の演目だが、「バトラー編」と「スカーレット編」の二通りあるらしく、今回は「バトラー編」を観たわけですね。

■確かに主役はレット・バトラーで、天真爛漫でわがままなスカーレットの少女の輝きを見初めてしまったために、激しく愛しながら、スカーレットの未熟さからすれ違いを演じてしまう男の哀れな恋路を切々と歌い上げる。

■『風と共に去りぬ』ってスカーレットの性格破綻ともいえる掴み難い人間性がなかなか理解し難いのだが、本作ではスカーレットの本心がもうひとりのスカーレットとして現れて、天真爛漫とは言いながら、なかなか本心をあかせない彼女を唆す。この空想的なギミックが、なかなかミュージカル的には楽しい趣向で、スカーレットのキャラクターを理解する助けになっている。上手い脚色だと思う。ここまでしないと、なかなかこの女性は理解し難いのだ。

■感動的なのはスカーレットと対象的なメラニーの存在で、出番は多くないが劇的には大きな役割を担っている。スカーレットは生まれつきの美貌と天真爛漫な少女性で男を魅了せざるを得ない天性の魔性だが、メラニーは自己犠牲と信心の人なのだ。旧弊な南部の上流階級からは差別されている娼館の女将ベルが南軍への寄付金を屋敷に持ってくる場面が泣かせる。「あんたは本当のクリスチャンだ」の台詞が泣かせる。演じるのは緒月遠麻という人で、若いのにベテランの貫禄で、登場場面は少ないのに場をさらう。

■スカーレット役は朝夏まなとで、いつもは男役の人だけど、たしかに目を引く派手な美女役にはピッタリ。成熟しきれない少女性と計算高さと我儘さ、そして自分自身のそんな性格をまだ把握できていない危うさを、そのままずばりの存在感として演じる。技量的に上手くはないけど、配役の妙といえる。妙に説得力があるのだ。

■バトラーを演じる凰稀かなめも素晴らしく、男の眼にもうっとりしますね。以下はラストの名セリフ。これ原作小説にあるのかなあ。男は立派な大人だった。でも愛した女はいつまでも少女の心のままだった。その心はついに交わることはできなかった。その悔悟の念を切々と、自嘲気味に語る圧巻の名場面!

スカーレット、そういう風に君は子供なんだよ。
君は「すみません」と謝りさえすれば、長い間の悩みや苦しみが立ちどころに人の心から消え去り、心の傷が治ると思っている。
スカーレット、僕は壊れた欠片を辛抱強く拾い集めて、それを糊で繋ぎ合わせさえすれば新しいものと同じだと思うような人間ではないんだよ。
壊れたものは壊れたものさ。
僕はそれを繋ぎ合わせるよりも、むしろ新しかった頃のことを、追憶していたいんだ。
そして一生、その壊れたところを眺めていたいんだ。

■放送版製作のスタッフも実に見事なカッティングと編集で、個人的には舞台で見るよりも観やすいし、楽しめると感じる。実は、宝塚をいい音で楽しみたいという目的で、オーディオ趣味に深入りすることにもなったのだ。

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