感想
■今更ながらこの映画をピカピカのリマスターで観るなんて夢にも思わなかった。しかも、アマゾンプライムビデオで観ようとは。昔々、たぶん吹田映劇で観た。そしてビデオでも観たはず。なので、今回は3回目の鑑賞。個人的には同じ映画を3度も観るのはかなり特別なことなので、よほど好きなんだね、この映画。自分でも気づかんかった。
■しかし、何度観てもよく飲み込めない映画で、この翌年に撮ったのが『夏の妹』というのもあまりにも何かが分裂している。正直なところ役者の魅力に乏しい映画で、実際、創造社の俳優たちは大島渚の映画に出ているときよりも、他社に出稼ぎして知的な悪役やステロタイプな脇役を演じている方が魅力的なのだ。主演の河原崎健三にしても賀来敦子にしても、ちっとも魅力が無い。桜田家の当主を演じる佐藤慶の貫禄は凄いのだが、乙羽信子なんて見せ場が無くて勿体ない話だし、1シーンのみ登場の原知佐子もいいとろこが無い。殿山泰司って、そもそも台詞あったかね?本作で鮮烈だったのはやっぱり中村敦夫だよね。
■そんな有様で劇映画としての面白みは少ないのだが、冠婚葬祭を磁場として親戚たちが参集することによって、「家」制度なるものが象徴的に象られるという構築になっているようだ。戦争を乗り越えた桜田家が戦後に核となる人間たちを徐々に喪い、滅亡するまでを貴族没落メロドラマではない観念的な”何か”として描き出す。そのすかした描き方の手際に、本公開当時の若者たちは政治的な意味を深読みし、やられたのだろう。でも、正直なところ、もっと上手く描くことができたはずという気がしてならない。
■核となる若者たちを喪ってゆく桜田家の没落、それは満州の大地に生きたまま埋められた、主人公の弟の呪いなのかもしれない。主人公はその弟の声を聴こうと地面に耳を付けるが、何も聞くことができない。なぜなら、日本に捨てられた者たちの呪詛ではないからだ。中村敦夫に仮託される戦後世代の若者たちは自らの意志で「家」を自分に引き寄せておいて、自らと同時に「家」を殺したのだ。だからそこには主人公が仮想するような呪詛はなく、まるで戦中の青年のように、戦後の若者にも捨て身の特攻攻撃があったことを示すのだ。そして主人公は徹底的に鈍感で愚かで平凡であり、唯一生き残る。いや、それこそが満州の大地に埋められた弟の呪いなのかもしれないし、彼が引き受け無ければならない「戦後」という現実なのだ。