「日本怪談劇場」 怪談牡丹燈籠 鬼火の巻/螢火の巻

基本情報

「日本怪談劇場」
怪談牡丹燈籠
鬼火の巻/螢火の巻
1970/スタンダードサイズ
(2001/8/4 レンタルV)
原作/三遊亭圓朝 脚本/宮川一郎
撮影/秋山海蔵 照明/仲村文悟
美術/鳥居塚誠一 音楽/牧野由多可
監督補/唐 順棋 監督助手/鹿島章弘
監督/中川信夫

感想(旧HPから転載)

 お馴染み牡丹燈籠の物語を小悪党伴蔵を主人公として二部構成で描き出したテレビ時代劇。東京12チャンネルの「日本怪談劇場」の1エピソードとして制作されたものだが、今やすっかり中川信夫の代表作として広く認知されるようになった力作である。
 伴蔵(戸浦六宏)と町医者志丈(名古屋章)が金蔓と考えて取り持った新三郎(田村亮)とお露(金井由美)の逢瀬はお露の自害によって水泡に帰すが、お露の亡霊は夜毎新三郎のもとへ現れて新三郎を衰弱させてゆく。お札を貼って亡霊の侵入を防御しようとするが、欲に取りつかれた伴蔵は幽霊から百両せしめてお札を剥がしてしまう。新三郎にお守りとして貸し出された金無垢の如来像をだまし取った伴蔵は女房と共に江戸を起つ。
 というのが鬼火の巻の概略で、後編である螢火の巻では江戸を出奔した伴蔵が破滅するまでを描き出す。
 荒物屋を始めて成功した伴蔵だが愛人に自分の主人を斬らせて出奔したお露の継母お国(長谷川待子)と懇ろになったことから女房を殺害するが、女房の霊が乗り移ったかのような女中(三戸部スエ)の病変に悪事の発覚を怖れて身代を畳んで江戸に引き返す。一連の変事が件の志丈の悪巧みと知った伴蔵は裏長屋で医者を殺し、お国とともに追ってきた浪人者を返り討ちにするが、悪人どもが血眼になって探し求めた金無垢の如来像と共に沼に呑まれてゆくのだった。
 何しろ誰の目にも明らかなのは前編の舞台となる裏長屋の美術装置の異様さであろう。どう見ても映画の美術装置というよりも舞台の美術装置を思わせる造形で、手前には犬や猫の死体が流れ着き鴉や鰻の餌食となるどぶ泥の沼地を設えて、その奥にほとんどほったて小屋のような長屋が向かって左から伴蔵夫婦、正面に新三郎、向かって右手に異形の易者(大友純)が住むという平面的なセットを敢えて組み上げ、前編では部分的にノーマルなセットやロケ撮影も挿入されるもののほとんどのシーンがこの1セットの中で展開されるという大胆不敵な演出プランで押し通す中川信夫の力技は、やはり並大抵の怪奇映画作家の及ぶところではない。
 それに比べると後編は東京12チャンネルの通常の予算規模に応じた美術装置でお国に貸すと約束した金をゆすりに来た浪人者の夫に対して、悪人としては自分の方が一枚上手だと伴蔵がまるで歌舞伎の名場面のように啖呵を切る長廻しのシーンなどテレビ時代劇としては出色だが、前編ほど過激に逸脱した表現はみられない。もっとも、ラストの沼べりの朽ち果てた裏長屋での殺し合いは素晴らしいのだが。
 山本薩夫の傑作「牡丹燈籠」との差違化のためか新三郎とお露のカップルではなく伴蔵を真っ正面から主役に据えて金欲に取りつかれた悪党の流転を因果噺に仕立てた構成は、未読なので断定はできないのだが、案外原作に忠実なのではないかと思われる。
 淀んで濁り、腐臭を放つ停滞した水が人の生命の停滞である死のメタファーとなるためか様々な淵や沼地が怪談映画の中で描かれてきており、ある意味では怪談映画とは滞った水を表現する映画の別名のことではかいかとさえ思われるのだが、そうした怪談映画の系譜の中にあっても、この作品で決定付けられた今にも崩れ落ちそうな廃屋がその建物の土台まで沼沢によって浸食されているイメージを明確に打ち出した美術装置のユニークさでは群を抜いているだろう。


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