■まず印象的なのは、文字で読むと、ほとんど記録映像部分とドラマ部分が半々くらいのバランスに見えます。完成した映画では、ドラマの中に不自然でないようにミックスされていたと思うけど、シナリオ時点ではほとんどドキュメンタリードラマにみえる。そこに、ちょっと異様さを感じる。
■あおい輝彦と篠田三郎が主演で、三浦友和、西郷輝彦がほとんど主演と互角で絡む構成。その構築はさすがに巨匠の筆で、見事なもの。それぞれの芝居の見せ場も万全で、ここが見せ場やで!という分かりやすさ。原始人(@ブレイク・スナイダー)にも分かる!
■あおい輝彦と高橋惠子の夫婦の物語と、篠田三郎と夏目雅子のカップルの物語の対置もさすがに強力で、骨太な構成とはこういうこと。
■でも敢えて、文句をつけると、あおい輝彦のエピソードにはかなり甘さがある。篠田三郎の残酷過ぎるエピソードと対比する関係上そうなっているのもわかるけど、戦地で受けた心の傷が、女房とのセックスで癒やされるというのは、いかにも甘い。戦争トラウマをどう考えているのか?という話だ。いや、作劇としてのおもしろさは抜群なんだけどね。
■女房の生命力が鮮烈に描かれていて、草の根の庶民の生命力を舐めるなよ!という、劇的には見どころでもあるし、映画でも映像的な説得力があるのだけど、戦地でメンタルをやられた男たちはそんなに簡単に癒やされることはないのだ。というのがリアルな現実。そこは、作者の年代的に、やはり精神主義的なものが抜けていないのだ、と感じる。戦地での過酷な体験が、いかに不可逆的に精神を蝕み、人格を破壊して、人生を荒廃させるかは、以下にいくつも例がある。
■なお、シナリオには戦場の地獄のような情景がこれでもかと細かに描かれているけど、映画ではありきたりのざっくりした戦場描写に薄められている。舛田利雄て、なぜかこの当時、爆発監督とか爆薬監督して認識されていて、日活の『あゝ、ひめゆりの塔』でも大失敗していたのに、その線で期待されていた。でも実際は、この人、メロドラマの心理描写が上手い人で、特にアクションシーンやスペクタクル描写が上手いわけではない。そこが謎なんだけど、なぜかみんな勘違いしている。なんで?

