SAYURI ★★★☆

MEMOIRS OF A GEISHA
2005 スコープサイズ
TOHOシネマズ高槻(SC8)


 貧しい漁村の娘(チャン・ツィイー)が芸者置屋の下働きに売られ、先輩芸妓のいじめに耐えながら、ある日やさしい声をかけてくれた会社(渡辺謙)の会長に相応しい女になるため、水揚げされて芸妓になることを決心するが、会長よりもその恩人の軍人崩れ(役所広司)に気に入られて・・・
 「シカゴ」のロブ・マーシャルが、前作に引き続いて装飾過剰な様式美で過去の時代に生きた女たちの葛藤をファンタジックに描く大作。なによりも、美術装置や衣装、そしてキャメラワークのこってりとした様式美の特殊性に目を奪われる。昭和初期から大戦後にいたる時代、京都に似た”ミヤコ”という街の花柳界に生きる、艶やかな女たちの生き様がエネルギッシュに描写され、日本と中国が混沌と入り混じった奇妙な東洋的世界が繰り広げられる。
 チャン・ツィイーは特に優れた演技を見せるわけではないが、チャンを妹分に救い上げるミシェル・ヨーと、それに対立するコン・リーの2大ベテラン女優の対決がすさまじく、ミシェル・ヨーが余裕綽々で大人の女を演じれば、コン・リーがイメージ一新を狙って、五社英雄ばりの濃厚演技でヒロインに絡みつく。まったく、この映画、五社英雄がハリウッドで撮ったといっても過言ではないほど、「陽輝楼」に似ている。チャンは、この2人の間では線が細すぎる印象だ。京都の映画界にもっと力があれば、この原作は日本映画として製作し、世界の映画祭に押し出すべきところだろう。せめて五社英雄クラスの演出家がいればだが。
 渡辺謙はいつもの貫禄を十分に発揮して存在感の器の大きさを遺憾なく発揮しているし、斜に構えた役柄の役所広司の持ち味も生かされたいいキャスティングだが、映画自体が後半にかけてドラマ的に衰退してしまうので、ヒロインを巡る役所と渡辺の三角間関係の煮詰め方が甘くなっている憾みが残る。
 また、桃井かおりがハリウッドで自身の演技の方法論を押し通して怪物めいた置屋のやり手婆を演じ切っているのも圧巻で、この女優の毒を巧く制御できる演出家が日本にいないことが惜しまれるほどだ。
 チャン・ツィイーの娘時代を、まるでおしんのように演じる大後寿々花がいちばんの儲け役で、実際この映画の背骨となり、伏流水となり、この映画をラストまで支えきる。
 それぞれの役者の演技は悪くないのだが、ドラマ構成自体は単純で、心理描写よりも、あまりにも凝りすぎた美術デザインと映像設計が、ファッションとして観客に訴求してしまうのが、弱点といえるだろう。もちろん、もともとそういう演出意図で撮影された映画だから、そこを責めるのは筋違いなのだが。

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