■段ボール箱に入れたままの古書を整理していて、当時の「映画芸術」が出した『KT』の特集本が出てきました。本作は監督がかってに脚本を改変したので、荒井晴彦が例によってネチネチ怒り狂ったという有名な作品で、そもそもオリジナル脚本はどうだったのか?金大中事件の顛末なんて、面白くないはずがないのになあ!と思って、今更読んでみました。さて、どうでしょう?
■実際、改めて、活劇でもサスペンスでもなくて、やっぱりパッとしない。こんな素材は東映系とか、もっと骨太な作風の正統派の脚本家に振るべきで、なんで荒井晴彦に?というのが、やっぱり素朴な感想。鄭義信とか西岡琢也でいいのでは?なんとでも面白くなりそうなのに!という煮え切らなさは、やはり残る。ポリティカルサスペンスの面白みが、さっぱり出ない。やはり、お得意の男女の関係に凝り過ぎ、というか頼りすぎだろう。
■主人公、副主人公の人物造形がいかにもで、ユニークな工夫のあとは興味深いけど、中野重治の詩を引用したりするのは、明らかに客層と乖離している。実際、誰も知らないよ。なので、監督も一部(伏線を)切ったのだけど、無理もないと思う。脚本のやりたいことはわかるし、賢い技巧だけど、残念ながらジャンルに適合していないし、線が細い。正直、考えすぎ捻りすぎで、意図が伝わりにくい。よほど賢い観客じゃないと理解できない。本来それが成り立ちうるのは、強固な活劇構成のなかで、ほんのスポットとして、さらっと描かれることで、単なる活劇やないで!ちゃんと考えてまっせ!というアピールとして有効な手法なのだと思う。
■ヒットラーよりスターリンの方が大勢殺してるとか、イデオロギーは人を殺すから怖い、ヤバい、危険だとか、いい台詞というか、人間が知っておくべき良い知識を盛り込んでいるのは有意義なのに、ピリッとエッセンスとして効いていないのが、勿体ないよね。男女の芝居の作り方は、さすがに技(経験?)が効いていて、なかなか真似できない世界だけど、笠原和夫あたりを狙いながら、やっぱり東映レベルでの雑さ、作劇のベタさが足りないのだと思う。
■ちなみに、特集本で大塚英志と対談していて、聞き手の大塚英志の方が延々と荒井の倍くらい喋っているのが、さすがにオタク風味で珍でした。その様子が、目に浮かびますね。
■さらに、高田宏治や丸山昇一の、過去の阪本順治と組んだベテラン脚本家を呼んで、でも奴(阪本)はいい男なんだよと散々言わせつつ、荒井を慰めつつの対談も読みでがあり味わい深い。阪本順治のカリスマ性がよよくわかるけど、よほどの人たらし、爺殺しらしいな。安倍晋三レベル?
■高田宏治の脚本はト書きが異様に濃くて、活劇場面もみっちり細部まで書き込んであるのがユニークな特徴だけど、あれは役者のために書いているらしい。どんな気持ちでこの台詞が出るのか、その役の気持が理解しやすいように親切心で書いていて、現場判断で適当に割愛すればいい、それを含んで多めに書いているらしい。台詞も多めに書いているから、いらんかったら現場で処理してくれという、あくまで鷹揚な座付き作家の姿勢だ。一方で、荒井とか丸山は、台詞の一部を勝手に端折るのは勘弁ならんという姿勢で、直すなら脚本家に相談して欲しいと言う。このあたりのスタンスの違いは非常に面白い。やはり、撮影所の座付き作家だったかどうかで姿勢が違うのだろうな。
■「狼生きろ、豚は死ね」という石原慎太郎の有名な文句が出てくるけど、イデオロギー闘争で挫折(幻滅?)した荒井は「豚」で上等と思い、若い阪本は「狼」でいたいと思うので、根本が食い違うのだとか。その意味では、後年『亡国のイージス』なんて撮ってしまうのもよくわかるけど、そもそも舛田利雄の『狼の王子』は観てるのかなあ?それに、中島貞夫の『893愚連隊』の件は?
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