■ラバウル十万の将兵の捨て石として、ゲリラ戦よりも名誉ある死にどきを求めて斬込みを選択する年若い士官。生き残った下士官兵たちを敵前逃亡と断ずる参謀長と、その密使として、玉砕のやり直しに身を投じる参謀(中佐)。確かに、現場指揮官たちもまだ若いのに、むやみに死に急ぐのだ。まだ若いのだから生き残ってやり直すことができるはずなのに。兵たちに死ねと命じたのは、戦争指導層の老人たちばかりではなかったのだ。そこが実に怖いところで、そこには人間づくりとしての教育の要素が絡んでいる。
■職業軍人は武士のように潔く死にたい、死ぬべきだと考えるけど、そもそも、武士なんて日本人全体の中ではごく僅かな、人数的には超マイノリティに過ぎないのであって、ほとんどの日本人は百姓(農民、漁民、猟師などなど)とか商人とか遊芸民だった。なので、その武士気取りの潔い死に付き合う謂れなど微塵もないのだけど、明治以降の教育とか教育勅語(!)によって、そう思い込まされてしまったのだ!教育、怖い!
■終盤に軍医が良い台詞を残しているので記憶しておきたい。人生って、
「つかの間からつかの間へ渡る光みたいなもんですよ。それをさえぎるものは、なんだろうと悪ですよ。制度だってなんだって悪ですよ」
全く、そのとおりだと思います。水木しげる、清冽な詩人なのだった。
