■確率論とか統計学の世界では、「大数の法則」というものがあって、短期的には平均から大きくハズレた極端な数値が出現するけど、長期的に観察すれば、やがて平均値に回帰してゆくことが知られている。なにごとによらず、バランスが大きく崩れたときには、長期的にそのバランスを回復しようとする働きが作動する。確率論的に考えるとね。それはどうも宇宙の(?)法則らしい。もちろん、人間の心理にもそうした回路が埋め込まれている。
■なので、国家主義、国粋主義が行き過ぎると、どこかで個人主義や権利意識が噴出する時期が来るし、それが行き過ぎると、その反動で国家主義的な主張が澎湃として巻き起こる。これまでも、これからも、そうだろう。でも、長期的には、徐々にええ塩梅のところに落ち着いてゆく。これも多分、そうなのだ。ただ、短期的にはかなりの異常値が出現する。
■だから、今も、戦後民主主義の急速な高進に対する反動が、その異常値を叩き出しつつある局面だろう。いずれもう一度大きな戦争を経験して、再度破滅的な目にあって、そこからまた新しい個人主義や権利意識を取り戻す時代が来るのだろう。その時、日本の国土が物理的に存在するのか、日本人が生き残っているのか、それは知らんけどね。
■1925年に普通選挙と抱き合わせで治安維持法が成立しているのも凶悪で、普選という飴で「アカ」が大躍進すると困るから、思想警察というムチが必要と考えるあたりが、現実のえげつなさ。実際、当時は大正政変や米騒動などでも、60年安保みたいに巨大な大衆が物理的に押しかける騒擾事件が発生しているので、マジで共産主義革命ありうるよね!という危機感があった。
■米騒動に大きな脅威を感じたから政党政治に舵を切るなど、政府に不満があれば、大衆動員して騒擾状態を作るのが効果的なのだということを教えてくれる。それを実行しようとしたのが、60年安保であり、ゲバルトの時代だったのだろうけど、若さ故に過激すぎて、敗戦経験に続くトラウマを産んでしまい、その後はネット空間でヴァーチャルな擾乱が展開する時代になったけど。1922年にはワシントン海軍軍縮会議があり、水平社宣言があり、日本共産党が結成され、同じ年に共産党と水平社ができてることに萌える!とか、いろいろ感慨深い。
■この時期、新興宗教界隈では、出口王仁三郎とか田中智學とか、ユニークな霊的大物が活躍して、思想的というか日本人の無意識下に、少なからぬ影響を残すのだが、さすがに教科書的にはアンタッチャブルだ。



