家康は二度死ぬ?才蔵がしれっと復活したシリーズ第7作『忍びの者 新・霧隠才蔵』

基本情報

忍びの者 新・霧隠才蔵 ★☆
1966 スコープサイズ 87分 @アマプラ
企画:財前定生、仲野和正 脚本:高岩肇 撮影:今井ひろし 照明:山下礼二郎 美術:太田誠一 音楽:斎藤一郎 監督:森一生

感想

■企画者から伊藤武郎が離れて、完全に大映が引き継いだ本作、なんと前作よりも時代を前に遡って霧隠才蔵を復活させ、前々作の終盤に新たなお話を差し込む形の時間軸で、もうなにがなんだか分からない企画の乱脈ぶり。なので、小沢栄太郎が家康役で復活することに。前々作で死んでたのに。

伊賀忍者狩りのために家康は風魔一族を呼んだ。次々と仲間が斃れてゆく。情報を漏らす裏切り者は誰だ?

■家康が死ぬ前に、時分の死後も後顧の憂いなく徳川幕府が安泰となるように様々な指示を言い置く。その中に伊賀忍者が名指しされるけど、もはや滅亡寸前の集団で、なんでそんなに怖がるのか?という話。脚本がとにかく低調なのだ。改めて時間軸を巻き戻してまで、何を描きたかったのか?一番当惑したのは演じる雷蔵自身じゃなかろうか。

■風魔一族を田村高廣が率い、おなじみ山本一郎の顔も見える。忍術の特殊効果はさすがに大映京都の職人芸が発揮されており洗練されているし、一瞬のカットにアニメ合成(というかフルアニメ)が挿入される。たぶん、時期的にPプロの仕事だろう。

森一生の前作『伊賀屋敷』に比べると、キャメラはオーソドックスな構えで重厚な作りだけど、前作ほどのこだわりは感じられない。藤村志保も役どころに工夫がないし、かなり大きい役どころの楠侑子(別役実の奥さん!)も描き方がステロタイプで冴えない。怪奇映画では妙に雰囲気を出す人なのに。敵役の田村高廣はがんばるけど、『兵隊やくざ』のような個性がないので、これもステロタイプ。明るい白昼の雪景色の中でのクライマックスの殺陣もパッとしない。


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