■大昔に買ったままになっていた映画『牡丹燈籠』の台本を読みました。特に明記はされていないけど、決定稿だと思います。それなりに大作だったので台本を多めに刷ったのでしょうか、比較的市場に出回っているようです。
■最終的に映画タイトルに「怪談」は付いていませんが、ほぼ脚本に忠実に撮られています。わざわざ山本薩夫が撮ったので、ゲテモノ映画じゃありませんよ、文芸映画だと言いたかったのでしょう。
台本のノンブルで全体構成が見えるようになっている
■一般の映画脚本がどうなっているのは知らないけど、大映映画の場合、台本がパートごとに付番されているようだ。本作の場合、aからeパートに分かれていて、それぞれが約20頁の分量となっている。このあたりの事情は、脚本集では分からないことだけど、制作台本では、どうも起承転結の構成バランスと尺数を管理するために、分けているようだ。1分@頁として、全体で100分となる計算だけど、実際にそのとおりに完成している。
■一般的に、起承転結の構成の場合、バランス感覚としては「承」が長くなるので、「承」を二分割して全体構成を考えているらしい。もっと時間の短い場合は、たぶん「承」の部分を圧縮するのではないか。例えば大映映画では長編映画でも70-80分程度のものが多くて、その場合aからdまでしかないのではないかと推察するけど、実際どうなのかな。例えば『怪談雪女郎』とか『大魔神』とか、短くてシンプルな構成なので、「承」の部分が短くて二分割されていないのではないか。(そうすると単純に約80分に収まる)
■察するに、各パート20頁を原則とし、増減するとしても1割まで、という暗黙のルールがあったのではないか。それによって、映画全体の構成を制御して、バランスが崩れるのを戒めようとしたのではないか?
構成分析
■実際のシナリオの各パートの頁数は以下の通りで、「起」の部分が少し長い。cパートにミッドポイントがあり、新三郎が幽霊のお露を拒絶しようとする場面が、まさに全編の中心地点にある。
- a 22頁 状況設定と伴蔵がお露たちの姿を覗き見るまで
- b 20頁 幽霊との契りと、お露たちの死(幽霊であること)の確認
- c 18頁 新三郎が幽霊を拒絶、再度の契り、和尚の登場
- d 18頁 おみねの帰還とお札の裏切り
- e 19頁 幽霊に百両ふっかけ、御札剥がしから、伴蔵夫婦が殺されるまで
■おみね(小川真由美)の登場がお話の後半(約1時間経過後)というのが珍しい構成で、前半で名前は売ってあるものの、ちょっと異例な扱い。普通はこんなポイントで新しい登場人物は投入しない。でも、これが「転」になっていて、和尚の登場よりもインパクトがある。おみねの登場から映画の主役が伴蔵夫婦にシフトする構成になっているからだ。そして、この異例な構成がこの映画の成功の要となった。この頃の小川真由美はいい意味での破壊力があった。
阿弥陀和讃がオリジナルの新曲
■興味深いのは、子どもたちが御招霊を迎える場面で歌われる和讃は、既存のものかと思いきや、新作らしく、妙に力が入っている。「阿弥陀いろは和讃(新曲少年合唱)」と指示があり、台本にフルフレーズで最後まで記載されている。いろは歌なので、「い」から「す」まで全部書かれている。
■これ歌詞は既存のものだと思うけど、探しても見当たらない。少なくとも、曲は池野成が新たに作曲したものらしく、CDにも収録されている。助監督がどこかからありものを調達してきて嵌め込んだのかと思いきや、脚本家がわざわざ創作(?)あるいは指定した重要な道具立てだったのだ。ちょっと感動した。実際、耳に残る歌なので、ぜったいむかしから伝わる古歌と思ったのに。
