【映画脚本レビュー】オバケなんてないさ!?橋本忍構成監修、国弘威雄の『怪談蚊喰鳥』(ネタバレ有)

宇野信夫の『怪談蚊喰鳥』は、以前に記事に書いたように、橋本忍が映画化したくて選んだ原作らしい。自分で構成して、弟子の国弘威雄に書かせた脚本だけど、東宝では企画が流れて大映で拾われた。大映には船越英二という看板スターなのにかなり癖のある性格俳優がいたおかげで、映画化して名作になった。

宇野信夫の原作戯曲におなじく有名な『巷談宵宮雨』を継ぎ足したのが橋本忍の構成の肝で、これにより徳の市に毒入りの鯰鍋を食わせる見せ場ができた。このあたりの見せ場は歌舞伎でもなかりえげつないことをやるようだ。戯曲では事細かには書いてないけど。

■あとは、幽霊の扱いが大きく変更されていて、辰の市はホントに幽霊が出たようだけど、これも菊次の悪夢にも思えるようになっている。さらに、映画では徳の市の幽霊は登場しない。戯曲では、辰の市も徳の市も、ちゃんと幽霊として登場するのに、映画では、クルーゾーの『悪魔のような女』の大ヒット以降、世界中で大流行した「狂言幽霊もの」になっていて、幽霊なんかいませんよ、幽霊より怖いのは生きた人間ですよと締めくくる(辰の市の幽霊だけは曖昧だけど)。後に『八甲田山』を山岳怪談にした橋本忍なのに!ですよ。橋本忍はどこかのポイントで完全に宗旨替えしてますよね。なんで?

■結局クライマックスに登場する辰の市の幽霊は、孝次郎が仕込んだ役者で、菊次と切れるための持って回った猿芝居だったわけだけど、菊次が井戸に飲み込まれる段取りは曖昧なままだ。戯曲では完全に幽霊に導かれるから、それなりに(霊的な)道理が立つのだけど、実際、映画でもそこは説得力に欠けている。孝次郎が自分の頼んだ幽霊にびっくりして井戸に堕ちるのは、まあ分からんでもない。自分で仕組んだワナに自ら嵌る皮肉も効いていると思う。

■この頃の橋本忍は、時代劇の読み直し、逆読みを戦略的に行っていた時期で、人口に膾炙する有名な事件や史実を、本当にその人、英雄だったのか?本当にその人悪役だったのか?と再解釈を加えて、時代劇を刷新する運動(?)を試みていた。なので本作も、その一環として、有名な怪談噺を、本当に幽霊の仕業だったのか?幽霊よりも人間の方が怖いのでは?と評価軸を逆転する試みだったのだろう。怪談の現代的な再解釈が、「狂言幽霊」となって現れるわけ。そのかわり、ロマンが喪われるわけだけど。怪奇ロマンが。

■ちなみに、脚本執筆にあたっては、演劇界の大御所評論家の戸板康二常磐津とか時代考証に関してアドバイスを貰ったそうです。でも原作戯曲の蝙蝠とか黒い蝶々の道具立てを完全に割愛してしまったので、題名の意味が不明になりましたね。脚本にも一切出てこない。ホントは、最後に一捻りして、でもやっぱりあれは幽霊だった?というオチが欲しいところですね。個人的には。

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