帝都防衛なるか?東京放棄か?掃海要領による爆雷攻撃試案とは?意外と重要作だった『大怪獣バラン』

基本情報

大怪獣バラン ★★★
1958 スコープサイズ(モノクロ) 87分 @DVD
原作:黒沼健 脚本:関沢新一 撮影:小泉一 照明:金子光男 美術:清水喜代志 音楽:伊福部昭 特技監督:圓谷英二 監督:本多猪四郎

感想

■もともと米国でテレビ放送用に製作されたが、日本では劇場公開されたといういわくつきの映画で、ある意味で特撮映画製作の実験でもあった。テレビ映画用の低予算番組なので、とにかく安く作る(作れるか?)という実験だ。実際、配役はスター不在だし、モノクロ(スタンダード)だし、ドラマもシンプル化の方針だし、記録映像や特撮カットの流用も辞さずという姿勢で、特撮映画は金がかかるので、安く作る工夫はないか?という東宝映画(田中友幸?)のテストケースでもあったようだ。

■もともとスタンダードサイズで撮影されたものをスコープ・サイズにトリミングしたので、とにかく解像度が低く、陰影も潰れがち。構図は意外にもあまり違和感がないのがえらいけど、逆にテレビで観ると天地がルーズすぎない?映画の全体的なルックと印象は、典型的なB級映画。岩屋部落の描写もほとんどがステージ撮影で、『獣人雪男』のように因習に縛られた秘境という雰囲気は出ていない。なにしろ、バランを制圧するために湖まで戦車を含む自衛隊の精鋭部隊が快進撃するので、そんなに奥地でもないのだ。

■その意味で、前半は秘境ムードも怪奇ムードも薄味なので妙味が少なくて、むしろ東京上陸阻止作戦を展開する後半部分が意外と面白い。この路線は『サンダ対ガイラ』に直結しているだろう。本多監督お得意の自衛隊演出が快調で、相当に合理的に展開する作戦計画とか、作戦展開に合わせて指揮所を転々と移転する描写とか、低予算ながらリアル志向が徹底している。「掃海要領による爆雷攻撃試案」の作戦計画書はなにしろ臨機応変の即席仕立てなので、ポンチ絵1枚しかないけど、それがリアル。しかも、これどこかで観たと思ったら、『ゴジラ-1.0』じゃないか。ほぼ同じショットまである。

■その意味で本作は意外と重要作で、後の東宝特撮映画にかなり影響を残している。怪獣を体内から攻撃するアイディアは『GMK』でも援用したし、そもそも人間ドラマから軍事ドラマに完全に転調する構成は『サンダ対ガイラ』で完成形をみることになる。

■最初はぼそぼそと何を言ってるのか滑舌すら怪しいので、やる気がないとか俳優座の運営資金稼ぎのアルバイトとか散々言われた、新劇界の重鎮・千田是也はちゃんと演技に変化をつけて、前半と後半を演じわけてるから、えらいと思いますよ。

■前半の教授室の彼は、まだ事態の深刻さに染まっていなくてある意味平常運転で昼行灯モード、岩屋部落の驚くべき事件を経て、東京放棄の危機をひしひしと感じて脳内にアドレナリンがフツフツと湧き上がり、バランの不思議な習性を利用した(地味=リアルな)作戦を思いつくに至る。主人公というか狂言回しの若手三人はちっとも変化しないけど、千田是也演じる古生物学の教授はちゃんと事件の状況に応じて、その人間的な反応を変化をつけて演じているから、舐めちゃだめですよ。真の主役かもしれない。本多監督はあまり現場で演技指導はしないタイプだし、ましてや演劇の巨人・千田是也に演技指導するとは思われないので、このあたりの塩梅は千田是也が自分で演技プランを考えているはずだ。そして、俳優座指導者として、リアルじゃないからオーバーな演技はしないよ、という若手への模範を示した(はず)。

■特撮的にも見どころは多くて、クライマックスの大暴れを羽田空港管制塔の大型ミニチュア破壊に集約したのはシンプルで良い計算だった。岩屋部落の破壊はあるいみ、怪獣が淡々と一方的に破壊しているだけだけど、羽田の最期の大暴れは追い詰められたバランの心理を体現していて、心理的にもクライマックス感を醸成していた。それを受ける本多演出の本編班は、特に岩屋部落のシーンが顕著だけど、怪獣が暴れるとそれだけで周囲に結構な暴風が吹くという表現がユニークで効果的。不思議なことに合成カットとかなくても、シーンが繋がって見える。実際、人間と怪獣の合成カットは基本なし。合成カットの省略は経費節減策だろうけど、ホントに意外なほど無かったね。


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