■でも普通に読んで非常に面白いので、一気に読み終わりましたよ。短いし。有名なものから、マニアックなものまで、軍隊小説が紹介されますが、『アーロン収容所』(未読!むかし映画化企画もあった。)の会田雄次が旧三高に入って「壬申の乱」について学ぶときに教官が天皇は神ではないと発言したので、自分はエリートだと強く感じたというエピソードが興味深いです。「大事をうちあけられた、自分はエリートだ」という感覚が、現実にあったのですね。つまり久野収がいうところの「顕教」と「密教」の関係です。この久野収の見立ては随分昔の著作(「現代日本の思想」)なのに、やはりいまだに有名なのですね。
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■また、
「神たる天皇の前では、すべての臣民が平等であるという「たてまえ」のもとで、社会的地位や学歴がチャラにされる陸軍の原則は、「国民大衆」の支持を得ました。」p.85
というあたりも、軍隊生活の実態、実情が見えないとわからないですね。ちなみに、欧米では大学生などは特権階級なので自主的に出征すべきだし、ゆえにそれなりの階級が与えられるという考え方でした。「ノーブレス・オブリージュ」の伝統ですね。少なくとも、日本の戦後エリートにはない考え方です。そもそも誰もそんなこと教えないしね!
■戦前の日本では、男子について、学校教育と同じくらいの軍隊教育があり、両方の教育で一人前の大人という認識だった。さらに、軍隊教育では家事的な技能も学ぶので「女らしさの学校」でもあったというあたり。そして職業軍人はほとんどを教育者として過ごすという指摘。たしかに、戦争がなければ、職業軍人はずっと教育者としての仕事をするわけですね。軍隊は確かに、ずっと学校活動をやってるわけ。なるほどなあ。
■そして、吉田嘉七の「ぼくら子供は」「終戦」というふたつの厭戦(愛国?)詩が載ってますが、これは非常に良い、というか傑作ですね。古山高麗雄の『日本好戦詩集』のなかに入っているそうですが、なかなか手に入らないようなので、本書で読んでみてください。本書なら大きめの公立図書館にはおいてあると思います。いまや忘れ去られたこの詩を読むだけでも、本書を手に取る価値があります。

